【インタビュー】「俺がいたときにJ1に行けへんかったのは正直、今でも悔しさがある」……OB数珠つなぎインタビュー第1回・寺田 紳一 後編
かつて横浜FCでプレーしたハマブルー戦士に当時の思い出をいろいろ語っていただき、次に登場するOBも紹介していただいて、OBの輪をどんどんつないでいく予定のこの企画。記念すべき第1回は、2010年から11年、半年空いて12年の後半から17年までプレーした寺田紳一さん。退団から現在までを振り返った前編、横浜FC加入から2014年までの中編を経て、今回は2015年から2017年までを語る後編です。これで完結となります。
(取材日/11月16日、11月25日)
▼ポジションってこういう形でなくなっていくんやろうなと……
――2015年はスロヴェニア人のミロシュ・ルス監督が就任しました。
「僕は外国人の監督が初めてだったので……、まあガンバでセホーン監督とロペスコーチで半年やりましたけど、ロペスさんは日本語がしゃべれたので。通訳を介してコミュニケーションを取ることの難しさを感じました。通訳ってすごい大事やなと思いました」
――確かルス監督が辞任する前に通訳が交代しましたね。
「ああ、そんなんありましたね。そこにいろいろ、表れてますね(笑)。でもミロシュさんはめちゃめちゃ良い人でしたよ。海外のサッカー観みたいなのも勉強になりましたし。外国人の方って感情を表すのが上手というか、照れずに普通にできるじゃないですか。選手としてはすごく大切にされてるなというのが伝わりましたし、トレーニングも、普通のパス練習にもいろいろ種類があって、今までにやったことがないような形のものがあって新鮮でした」
――ただチームは低迷し、残留争いにも巻き込まれて15位で終わりました。キャプテンとしてどう感じていましたか?
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