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【無料記事】寺田紳一「今はサッカーのことを毎日、選手時代より考えてます」……OB数珠つなぎインタビュー第1回・前編

ハマプレ読者の皆様、お待たせいたしました。

ようやくOBインタビューの第一回を掲載の運びとなりました。かつて横浜FCでプレーした懐かしのハマブルー戦士に、当時の思い出をいろいろ語っていただきます。そして次に登場するOBも紹介していただいて、OBの輪をどんどんつないでいく予定です。

記念すべき第1回は、2010年から11年。半年空いて12年の後半から17年までプレーした寺田紳一さん。2014年からは背番号10を背負い、キャプテンにも任命されて中心選手として活躍しました。2021年8月に現役を引退し、現在はティアモ枚方のコーチなど指導者の道を歩んでいます。

横浜FC退団から現在までを語った前編は無料公開。中編と後編は横浜FC時代をたっぷり振り返ってもらっています。2016年以降のものにはなりますが、練習や練習試合で撮った写真も紹介していきますのでお楽しみに。

(取材日/11月16日、11月25日)

 

▼サッカーをしていて楽しさを感じなくなってしまった

――寺田さんは2017シーズンまで横浜FCでプレーされていたわけですが、まずはその後の話から聞かせてください。

「2017年に横浜FCを契約満了になって、チームを探しました。トライアウトも出ましたけど、なかなか決まらなくて、『もうどこもないんかな』って思ってた中で、最後に栃木に声をかけてもらって。オグリさん(大黒将志)からも電話をもらって、『俺にパス出せるヤツがおらんねん。一緒にやろや!』って。どこまでホンマなんか分からんけど、『俺がクラブに言うから』みたいな感じで(笑)。でも栃木に行ってすぐ、アキレス腱を切ってもうて」

 

――2018年の開幕前、たまたま僕も栃木の取材に行ってたときでした。別の選手の撮影をしてたら、寺田さんが担架で運ばれてて……。

「切れた瞬間、『あ、終わった……』ってホンマに思いました。倒れるまでの間に、ホンマにいろんな思い出がブワーッと流れて。走馬灯ってホンマなんやなって(笑)。新しいチームでもう一回頑張ろうという時だったので、正直、心が折れかけました。これで終わんねやなって。でもリハビリをしていく中で、本当にいろんな人が声をかけてくれて。それでもう一度復帰しようと気持ちを持っていけました」

 

――復帰できたのはその年の終わりごろでしたね?

「はい。ラスト2試合くらい。でももう33歳という年齢で、あれだけサッカーから離れていて、膝とかほかのところも痛みが出てきたりして、ちょっと難しかったですね」

 

――翌2019年は、夏場から出場機会がなくなっていきました。

「最初は試合に出させてもらってたんですけど、そこで結果を出せなかった。チームとして戦い方も、中盤でボールを持ってという感じではなくなっていきました。そっちのほうがチームとしての力が出るのも感じていたし、監督のやりたいことが分かってたから、自分はなかなか出られないやろうなと思ってました」

 

――その年で栃木との契約が満了。2020年からは関西1部リーグのおこしやす京都でプレーしました。

「栃木までわざわざ来ていただいて、話を聞かせてもらったのが大きかったですね。僕ももう少しサッカーしたかったというのがあったし、関西に戻るというのも良いかなと思って。でも腰と古傷とか痛い中でやっていて、仕事もやり始めていたので、なかなか体的にはキツかった。午後はチームの営業活動をしたりとかで働いて、それもセカンドキャリアを考えたときに、おこしやす京都の魅力やったんです。でもサッカーに向き合ったときに、なかなかケアする時間もなかったですし、暑い中で昼間に試合したりするカテゴリーなので、おじさんにはキツい(笑)環境でした。そんな中で次の年に、ある試合で初めて、サッカーしていて楽しさを感じなかったんです。そんなの初めてやったんで。『ここがやめ時なんかな』と自分で区切りをつけました」

いつも楽しそうにプレーしていた寺田さん

 

――2021年、シーズン途中の8月に突然の引退でした。周囲の方は反対したのでは?

「チームの方には迷惑をかけましたし、チームからは止められたんですけど、あと半年間、自分の気持ちに嘘をつきながら続けられるかというのと、自分がそういう気持ちを出してなくても伝わってしまうところもあると思うし、続けてもチームに悪い影響しかないと思いました。あとは単純に自分が、もうサッカーをしたくないと思ってしまったので。それで無理を言って、途中で引退させてもらいました」

 

――楽しくなくなったというのは、自分のイメージするプレーができなくなったとかいうことではなく?

「そういうのもあったのかもしれへんけど、その試合は本当に、何かいつもと違ったんですよね。思い描いてるプレーとか、もっと動けたらとか、そこの違いはありましたけど、そこの中でみんなやってることなので。でもあの試合に関しては、チームとしてもその前に天皇杯で広島相手に勝って盛り上がってる中やったんで、途中から出てチームに貢献できずに、プレーしてても……。それまで常にサッカーを楽しんで、勝ってても負けててもどういう状況でも楽しいのが自分のサッカーだったんですけど、そういう気持ちがまったく味わえなくて。チームメイトがみんな悔しがってる中で、自分は何の感情も出てこなくて。これは違うな、と思って。チームにも迷惑かけるし、自分自身もサッカーに対する向き合い方がいつもと違ったので。その前から『今年で終わりやな』とは思ってて。体がキツいとか、いろいろキツいとか、そういう積み重ねがそこでバーッと出てしもうたんかなという感じですね」

 

――ある意味、もうやり切ってたのかもしれない?

「そうですね。もう離れたいって。一回引退しても『またプレーしたい』って戻る人もいるし、『またサッカーやりたくなる』って言われてきましたけど、そういうのも今はまったくなくて。やり切ったって感じです」

 

――もしまたプレーが見られるとしたら、二川孝広さんの引退試合ですかね?

「あの人、『やりたくない』って言ってますよ。ガンバから言われたらどうすんですか?って言っても、『嫌や』って(笑)」

 

――では、まだ先になりそうですが遠藤保仁選手の引退試合は?

「呼ばれないっすよ(笑)。あんなん、もっとすごい人たちとサッカーしてきてるんで」

 

――橋本英郎さんなら呼んでくれそうでは?

「(笑)、まあ人数合わせで足りなかったら誘ってもらえればいいですけど(笑)。でも全然動けないんで」

 

――それは嘘でしょう。体型も全然変わってないし。

「今はA級ライセンス取りに行っていて、それはけっこう動くんで(笑)。それと指導者やってる中で、子供たちともやってるんで、そこでけっこう動いたりしてるからですね」

人をホッとさせる笑顔も変わってません

 

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