デイリーホーリーホック

【シーズンオフ特別企画】茨城大学水戸ホーリーホック応援ネットワーク スタジアム案内人座談会(前編)「茨大ホーリーネットの今季の活動、今後について」(2015/1/7)※全文無料公開

2013年3月に水戸ホーリーホックと連携協定を結んだ茨城大学。
その受け皿となる支援組織 「茨城大学水戸ホーリーホック応援ネットワーク(通称:茨大ホーリーネット)」は、学生、教職員、OBやOG、茨大関係者らがゆるやかに繋がって、スタジアム設営や運営、ホーム戦チラシ配り、学内への試合観戦の告知など様々なサポート活動を続けています。
今シーズンは発足2年目にして、大学オリジナルの大旗、フラッグも制作。今後もホーリーホックの大きな追い風となることが期待されています。
その茨大ホーリーネットの中心となっているのは、水戸サポーターの高橋修教授、藤縄明彦教授、木村競教授。
今回はホーリーホック愛溢れるスタジアム案内人の3教授に集まっていただき、茨大ホーリーネットの活動のハイライト、大学内での波及効果、今シーズンのMVPを選出する座談会をしてもらいました。

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※写真左から高橋修教授、藤縄明彦教授、木村競教授
【写真 米村優子】

座談会参加者(記事内表記 ※敬称略)

高橋修(高橋)
茨城大学水戸ホーリーホック応援ネットワークスタジアム案内人代表。茨城大学図書館長。人文学部人文コミュニケーション学科教授。1964年生まれ。日本中世の地域社会と武士団(在地領主)、戦国時代の合戦を描いた屏風絵「戦国合戦図屏風」、およびそうした題材を通じての歴史教育をテーマに研究。著書・編著に「中世武士団と地域社会」「【異説】もう一つの川中島合戦 紀州本『川中島合戦図屏風』の発見」「熊谷直実 中世武士の生き方」「実像の中世武士団」など。

藤縄明彦(藤縄)
理学部理学科地球環境科学コース教授。1954年生まれ。東北日本の火山を中心に、歴史時代噴火の災害科学的解明、更新世における大規模爆発的噴火の地質学的解明、火山の包括的形成発達史などを主に研究。著書に「地震列島日本の謎を探る」「新版 地学事典」「日本の地質2東北地方」など。

木村競(木村)
教育学部人間環境教育課程教授。1956年生まれ。専攻分野は哲学・倫理学。サステイナビリティと安全・安心な社会の構築、学校教育と倫理学、現代日本における死の語り方 などをテーマに研究。著書に「ポスト震災社会のサステイナビリティ学-地域と大学の新たな協働をめざして」「演習・死の哲学」「アタッチメントの実践と応用 医療・福祉・教育・司法現場からの報告」など。

――まず、先生方が水戸の試合を見始めたのは、いつ、どんなきっかけだったのでしょうか?

高橋:水戸ホーリーホックが不遇な時代でしたが、2003年、(田中マルクス)闘莉王(現名古屋グランパス)が水戸にレンタル移籍していた年からスタジアムに通うようになりました。市報にホーリーホックの新加入選手の特集インタビューがあり、闘莉王はまだ20歳の若造だったのに「統率力を見て欲しい」とかコメントしていた。その記事がすごく面白かったので、子どもを誘って観に行ったのが最初ですね。多分、甲府戦だったかな?その試合がたまたま勝ったので、スタジアムに通う勢いが付きましたよね。その頃の水戸は、偶然入った点を守るみたいなサッカーをしていた。「水戸ナチオ」と呼ばれていた時代ですね。試合内容は全然面白くなかったと思うけれど、やはり勝つと楽しい。闘莉王の勝利インタビューも、すごく盛り上がりましたよ。

地域クラブだから応援していましたが、ホームでも負ける試合が多かった。あまり酷いゲームの後は、気持ちが挫かれて行かなくなったりしたこともありましたね…。水戸のサッカー自体に惹かれるようになったのは、木山隆之監督の年からです。木山監督はラインが高めでしょ?長短織り交ぜながら、プレスでボール取って、展開が速い。ポゼッションをすごく重視していたのもわかる。そして高崎寛之(現鹿島アントラーズ)、荒田智之(現ファジアーノ岡山)、吉原宏太と決定的なストライカーがいましたし。柱谷監督になってからは、更にスタジアム観戦の回数が増えました。“ぼっち観戦”ではなく、藤縄さん達や学生らと一緒に観る楽しさも覚えましたね。

サッカー自体が好きなので、鹿島アントラーズなど別の球団の試合も観に行くんですよ。ガンバ大阪のサッカーはちょっとレベルが違うので、万博記念競技場にはよく行きますね。サッカークラブは、それぞれのチームにカラーがあって面白いですよね。応援の仕方、街の取り組みも違う。フラッグの立て方一つにも色々な工夫があります。これも一つの文化ですよね。そこの部分も見えてくると更に面白い。そういう楽しみ方をサッカー全体でしていますよ。

――藤縄先生は東日本大震災を機に水戸サポーターになったのですよね?

藤縄:そうなんですよ。ホーリーホックって全然お客が入らないから、欽ちゃんの1万人チャレンジとかやってたじゃないですか?そういう話を耳にして、「情けないな~」って思っていたんです。しかし、KSスタも震災の被害にあって、練習も出来ないという状況で、選手達が物資を運んだり支援活動をしていたじゃありませんか?あの時はみんな被災者で、生活するのがやっとだった。それなのに、プロアスリートがそんなことをやっていて、「これは理屈抜きで応援しなければいけないな」と思いましたね。初めてスタジアムで観たのは、タダ券を貰った2011年5月14日のロアッソ熊本戦。スコアレスドローでした。J1と比べてしまうとあまり上手くなかったな。柱谷体制に入っていたけれど、まだ球を蹴っているだけだった。6月25日のFC東京戦は、石川(直宏)の決勝ゴールでやられて2-3で負けたのだけれども、2回リードされて2回追いついたんですよ。その2点目が保崎淳(現ツエーゲン金沢)のPKだった。一発では決められず、弾じかれてまた押し込んだ。あの根性を見て、保崎を含めて、「俺はこの人達を応援しよう」と決めたんです。そしてすぐ球団に電話して、支援持ち株会に入って、2011年はF東戦以降、ほとんど全部行きました。2012年から年間パスポートを買うようになって、毎試合行った。水戸市の日や無料チケットがたくさん貰える不動産屋さんのサンクスマッチの日は、「来週はKSスタでね!」とスタジアムで応援しながら学生と現地観戦ゼミをやったりしましたね。

たっちゃん(岡本達也選手・現ガイナーレ鳥取)と練習場で話している内にだんだん素性がバレてきて、色々個人的な話もするようになった。そしたら、シーズンオフにお忍びで大学に来てくれたんです。自分はどういう風にプロになったか、プロとアマの違いなどを話してくれたり、逆に学生の皆さんは今どういう興味があって、岩石学をやっていて、将来どういうことに生かしたいと思っているのか?と聞かれたりしました。それでうちの学生は大体ホーリーホックファンになってしまい、研究室全体で応援するような感じになりましたね。そんなことがあって、ますますのめり込んでいった。

そして、2012年の半ば頃から前日設営隊まで顔を出すようになりました。お祭りの支度からやっていると、当日ものすごく気分が高揚するんです。最初はスタッフも数人しか知らなかったのですが、毎回行くと全員の顔と名前が一致して、キャラクターもわかる。そうすると「また行こう!」となっちゃうんですよね。そうやって、またどんどん深みに入り込んだ。すると、2012年の終わり頃に高橋さんの方から「茨大ホーリーネットを立ち上げるので、手伝ってくれないか?」と言われ、もう渡りに船みたいな感じだった。今では前日隊はもちろん、茨城大学アナウンスステーション(通称:アナステ)の皆さんの送迎もほぼ毎回やっています。アナステの皆さんは開門2時間前集合なので、試合が始まる4時間前にはスタジアムに行かなくてはならない。試合を終わった後も2時間ぐらい後片付けをして帰ってくる。丸々一日ですよ。つまりホーム戦の時はほぼ2日、ホーリーホックに関わっていることになる。「物好きですね」と言われるかもしれませんが、そうすると祭りの最初から終わりまで全部見られるんです。それでリフレッシュできるし、その間は別の世界を生きている人間に変われる。その時の自分と大学での自分がお互いに刺激し合える感覚になる。それでずっとハマっちゃっていますね。

――木村先生とホーリーホックの出会いを聞かせて下さい。

木村:昔からサッカーが好きでした。私は今のテレビ東京で放送されていた海外サッカー番組「ダイヤモンドサッカー」の世代。そこからサッカーを観るのに入ったけれど、黎明期の水戸のサッカーだって、サッカーはサッカー、魅力的です。だから茨大に赴任してしばらくして「ホーリーホックも遂にJリーグへ!」と喜びました。一番始めに行った試合は、2000年か2001年。雨の笠松でした。その後から、ちょこちょこ観に行っていますね。水戸ホーリーホックはケーズデンキキッズパスポートで茨城県内の全小学生を無料招待する子ども向けの戦略をしていますが、私の場合、自分がサッカー好きなものだから、スタジアムイベントに子ども達を連れて行ったりしていました。うちの子ども達はみんな、部活はバスケットボールに入ってしまいましたが、小さい頃にホーリーホックのスクールでサッカーを習っていたし、サッカーの試合を観ているので、しばらくは親のスタジアム観戦に付き合ってくれました(笑)。茨大ホーリーネットのチラシでも「学生の内にプロの試合を観よう!」というのを打ち出していましたよね。やっぱりスタジアム観戦はテレビで観るのと全然違いますよ。

藤縄:うんうん。全然違いますよね。

木村:最初は「なんだリプレイが観られないじゃないか!」とか思いましたが(笑)

高橋:遠い所のプレーとかね。

木村:「何?あっちでどうなったの?」って(笑)

藤縄:「今の誰?!誰?!」ってなりますよね(笑)

高橋:昔の水戸市立競技場なんて傾斜が低いし、遠くから全然見えなかったな。反対のゴールでは応援席からだといつも「何が起こったんだろう?」という感じでしたよね。

木村:本当、何が起こったか分からない(笑)

藤縄:でも、あの一体感は何とも言えないですよね。

木村:私は非常にライトなサポーターなのですが、ずっとスタジアムに行き続けていますね。特に現役時代の木山(隆之)さんは印象に残っています。うちの奥さんが筑波大学でバスケットボールをやっていたので、同じ大学出身の木山さんが気になって試合後も出待ちをしたりしていました。うちの奥さんは競技スポーツをバッチリやっていたので、種目は違うけれど、楽しみとしてスポーツ観戦できない感じがしばらくありましたね。私も中学生の頃まではサッカーをしていたけれども、完全に観る側。しかし、奥さんは試合が熱くなればなる程、選手の方に感情移入しちゃって見られない。

高橋:僕は中学の頃、サッカーをやっていましたが、プレーしている時は全然面白いと思わなかったな。

藤縄:僕らも山に行って、景色を楽しむことはまずないですものね。もう見た瞬間に「どのぐらいの噴出物が重なり合っているのかな?」という目線になってしまう。隣で「キレイ!」と素直に景色に喜んでいる人の声を聞くと、「何がキレイなの?」とか思ってしまう。それはもうすぐやめたいなと思いますね(笑)きっと奥さんもそういう感じなんですよね。

木村:でも昨年ぐらいからサッカーを楽しく観戦するモードに入ったようで、最近は新里亮選手のファンですね(笑)。強豪の競技スポーツでやった人と普通のサポーターではちょっと違った見方があるのが面白いなと思いました。

藤縄:僕もかみさんと行きますけれど、長男と次男は松本山雅FC戦だとあっち側の席にいますから…。大変ですよ。我が家は僕と妻が水戸サポ、長男と次男が松本サポ、娘はどっちつかず。松本が水戸に来た時は、前の晩から「絶対負けねぇよ!」と舌戦が繰り広げられます。来年から水戸VS松本はなくなりますが…。面白いですよ、家族ダービーって。

――茨大ホーリーネットも発足2年目。今年の目玉となった大旗の制作など、様々な活動を展開してきました。

高橋:とにかく学生をスタジアムに連れて行き、生で試合を見てもらうというのが我々の大きな目的。春には球団と企画して、5月18日京都サンガFC戦に茨大生を無料招待して貰いました。その時は、球団からも広報を手伝って貰い、船谷圭祐選手、中里崇宏元選手が学内でチラシ配りもしてくれました。入学式のガイダンスでは、それぞれの学部で新入生に向けてパフォーマンスをしたりしましたね。今年から大学がスタジアムへの直行バス代を出してくれるようになりました。

藤縄:少しずつは進歩しているんですよね。

高橋:大学は連携協定を結んでも、スポンサーではない。でも我々の取り組み方次第では、大学も活動費を出してくれる。最初の年度はチラシ代のみでしたが、一年経ったらバス代まで捻出してくれて、大学の目もこちらへ向けられるようになって来ましたね。

藤縄:大旗の制作が一番大きかったですね。高橋さんが茨大生無料招待の時にゲーフラを作ってくれて、「あそこに茨大がいるな」というアピールをしていたんですが、ある教員の人と「大旗あるといいよね」って話になった。茨大として応援する時、スタジアムの中で埋まってしまったらつまらないと思ったんですよ。それに、スタジアムで茨大の大旗がひるがえっていたら、学生が来てくれるかもしれない。「じゃあ、どうしても作りましょうよ!」と本腰入れたのが、無料招待の直後ぐらいですね。「あれって、いくらぐらいで出来るの?」「というか、勝手に作っていいの?」と全く分からなかったので、予算とか色々調べました。そして、「色んな学内の協力を得た形で作れるといいけれど、もしお金が集まらなかったら、最悪このスタジアム案内人3人で出すような形でとにかく作りましょうよ」ということになった。高橋さんが地域連携の本部の人達に話をつけてくれて、僕は自分の学部の人達などに話をした。すると、事務の職員の人達があっという間にお金を集めてくれちゃった!

高橋&木村:あれはすごかった!

藤縄:僕の所にもお金を出してくれる人が意外とたくさんいて、「えっ!?この人が!?」という人や学部長も協力してくれた。そうしたら、大旗2本分ぐらいのお金が集まってしまったんです。残りは大小のフラッグを制作して、高額を出してくれた人にはサイン入りの小さなフラッグ、色紙をプレゼントしたりしようということになりました。

木村:小さなフラッグには、好きな選手がサインと自分の名前を書いてくれるんですよ。私のは(本間)幸司さんです。

高橋:木村家の新たなお宝になりましたね。

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【写真 米村優子】

――茨城県の花であるバラで龍を描いた、オリジナリティ溢れる大旗です。デザインは学内の芸術系の研究室で制作したものでしたね。

藤縄:デザインがいいんですよ~!大旗を作りたい気持ちが先走って、「デザインはなんとかなるんじゃないの?」とぐらいに思っていた。お金についても学内の人から協力を得るのならば、学内に本職がいるんじゃないかと思って調べたら、教育学部に平面デザインが専門の島田裕之先生がいることが分かった。それで、島田先生にホーリーネットでこういう事をしていて、この度こういう企画をしていて…と伝えたら、「先生の熱い気持ちはよくわかりました。なんとか一肌脱ぎましょう!」と快く引き受けてくれた。出来上がったデザインを見た時、「やっぱり本職は違うな!」とすごく気に入っちゃった!茨城大学の気持ちが結晶したような旗になれたなと思います。皆さんに見せたら「いいね!」「売らないんですか?」と大好評。結局、最初集まったお金で大旗2本、サブのフラッグ大が10本、小が10本、追加で小が50本も制作できた。みんな茨大フラッグを一緒に振ってくれるようになって、本当に作って良かったな。思っていた以上に旗の効果があり、一体感を生んでいます。

――一緒に大旗を振っている水戸サポーターの方々の反応はいかがでしたか?

藤縄:今までにないデザインだと言われますね。

高橋:色が薄いのがどうなのかな?と思いましたが、逆に目立ちますよね。

藤縄:後はもっと学生さんが大旗を振ってくれるといいんですけど。

木村:僕は振ったことないですね。ぎっくり腰になっちゃう(笑)

――来年度はどのような取り組みを企画しているのでしょうか?

高橋:一年目は、サッカー教室が中止になってしまいましたが、無料招待試合を実現して、大学からスタジアムまでの直行バスを出して、ハイタッチサポーターもやった。今年度は茨大生の無料招待があって、チラシ配布に選手が来てくれて、大旗も作った。ウェルカムフラッグ隊やホーリーネットとの共催の形で「水戸ホーリーホックのフットボール・カフェ」をやりました。毎年少しずつ事業が増えています。

藤縄:なので、今年やったのは来年もできると思いますね。割りと評判は悪くなかったと思うので、少しずつリニューアルしながら、継続してやることは出来そうかなという感じです。トライ&エラーでやっていくしかない。

高橋:上手く行ったものを維持していく。

藤縄:それで新しい企画を少しずつ入れていく。あと、いつも気にしているのは、おじさん達が先頭切って走っていてはダメ…。

高橋:突っ走っていますからね(笑)

藤縄:「ホーリーネットおじさん会」になっちゃうのは本意じゃないのね。学生さん達が自主的に「面白そうだな!」と参加してくれることが必要。そういう意味では、まだまだです。だけど、必ず来てくれる人、もっと協力したいって人が少しずつ増えてきた。そんな学生さん達を大事に育てていきたいかな。

高橋:大学の中での知名度を上げるのが、まず第一歩ですからね。急激ではないけれど、ちょっとずつ高まっている。この間、フットボール・カフェの時に図書館前でホーリーくんが学生と写真撮影をしていたのですが、それを上から見ていた女子学生が「あっ!水戸ホーリーなんとかだ!」という反応で(笑)。もう一息です(笑)

藤縄:そんな感じですよね(笑)ホーリーホックの営業さんが色んな学内のサークルに声を掛けてくれて、今年度はボランティア活動をしている「子どもふれあい隊」とチアリーディングチーム「Cherrys」が参加してくれた。そういうサークルを我々が束ねて、盛り立てていく。すると、自然とホーリーホックの知名度が上がっていく。来年はこういうネットワークをもっと強くしていければいいのかなと思います。

木村:そうですよね。もっとサークル、グループ単位に働き掛けるのはいいかもしれませんね。

藤縄:彼らも活動の場が出来るのは、良いことなんですよね。ホーリーネットとしても嬉しいし、お互いにゲインアンドゲインになれる。そういう活動をもっと盛り上げて行ければいいですよね。そしてサークル活動をホーリーホックの運営に組み込んでいくと、色んな形で応援が出来る。それは大学のメリットですよね。

※中編に続く

(取材・構成 米村優子)

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