デイリーホーリーホック

【シーズンオフ特別企画】茨城大学水戸ホーリーホック応援ネットワーク スタジアム案内人座談会(中編)「水戸ホーリーホックが茨城大学、水戸の街に与える可能性」(2015/1/9)※全文無料公開

――茨城大学がホーリーホックと連携協定を結び、茨大ホーリーネットを発足したことによって、学内で何か波及効果はありましたか?

藤縄:高橋さんを知ったのはホーリーネット。それまで全然知らなかった。ホーリーホックがなかったら知り合えたか定かでないですね。(木村)競さんは近くの宿舎に住んでいたので知っていましたが、でもホーリーホックを応援しているなんて知らなかった。

木村:そうでしたね。

藤縄:大学ってちょっと離れると、教員同士でも知らない人が多いんですよね。色んなことが出来るのが大学のメリットだと言いましたが、ある意味ショッピングモールみたいな所なんですよ。それぞれが商店主みたいになっていて、学生さんも限られた所に買い物に、つまり勉強に行っている。そして大学で出しているメニューだと、なかなか横に繋がっていかない。だけれども、ホーリーホックというものを出した時に一緒になれるんです。例えば事務に行って、「理学部の藤縄なんですけど」「あっ!ホーリーホックの先生ですね!」と言われたりする(笑)。良いのか悪いのかわかりませんが、そうすると話が通じやすくなったりするんです。ホーリーホックは学内でいい潤滑剤になっていますよ。

僕は出来るだけ、教養の授業の配布物に、「今度、一緒にホーリーホックの応援に行きましょう!」と写真を載せるんです。「すみません、二日前に試合で声を出しすぎて…」とかガラガラ声で授業中に話したりすると、「またやってるよ」と学生にドン引きされるんだけど、ビラ配りやってる時に受け取ってくれたりする。ホーリーホックをツールにして、違う研究室の学生さんと話が出来たり、コンタクトを取れたりするんです。他にも「歴史時代の噴火のことが知りたいから、高橋さん、古文書読んでくれませんか?」とか依頼することもいずれあるかもしれない。それはホーリーホックが介在して、ネットワークをよりガッチリと強いものにしてくれたお陰ですよね。ショッピングモールの個々が結びついていく。そうしたら、大学組織自体も存在もストロングになっていく。潤滑剤でもあり、間を埋めてくれる固化材になっている。岩石屋的に言えば、“続成作用”ですよね。砂利にセメントを入れてコンクリートを作るようなものが自然界にもあって、セメントの部分がホーリーホック、砂利の一つひとつが我々であったり、学生さんであったり。“さざれ石が巌となりて”とはなかなかいきませんが、長く連携を続けていけば、そういうこともなり得るんじゃないかなと夢を持っています。

高橋:フットボール・カフェを茨大ホーリーネットと共催した繋がりで、大学図書館の来年度の土曜アカデミーでは藤縄先生に火山の話をして貰いたいんですよね。言いましたよね?

藤縄:はい。そういう話も出て来たりするんですよね。

高橋:来年度のラインナップを考えなければいけないので、早く具体的に考えていただきたいんですけれども…。

藤縄:あっ……話が違った方へ……(笑)

高橋:霊山のほとんどが火山。火山だった山に神が祀られている。そういう所に学生を頻繁に連れて行くんだけれども、本当に安全なのかどうか。御岳山以降、非常に心配。同じ思いを持っている学生がたくさんいると思うんですよ。是非、そこ答えを聴きたい。「身近な火山が火を噴く時」というようなショッキングなテーマで火山研の人達に話して貰いたいんですよね。こういう繋がりも出来てくる。接着剤のような役割もホーリーホックがしているのかなと思います。

藤縄:それはプロスポーツが持っている力だと思います。

高橋:それは学外に向けてもそういう作用があると思いますよね。

藤縄:そうですね。町おこしも同じだと思います。そういう意味では、まだまだ水戸市はホーリーホックを十分に活用していないと思う。

木村:ハブ空港ってありますよね?空路の基軸になる空港。Jリーグのチームって、そのハブの働きがすごくあると思うんです。そこが軸になって、色々なものが繋がっていく。実は大学もハブになるといいんです。色々な人が入って来て、大学から出て行く。すごいハブの力を持つホーリーホックとハブをめざす茨城大学がくっつく。それでハブ機能が更に高まる。それが一番いいですよね。

藤縄:望ましい形ですよね。

木村:大学はまだハブ機能が弱いから、ホーリーホックがモデルになると思う。色々な所に出掛けていって、色んなものと結び付いているから。それに接して、「ああいう風に広がって繋がっていけばいいんだな」とイメージを持つことはすごく大事。

藤縄:実は茨城大学と水戸ホーリーホックってすごく境遇が似ていると思うんですよ。水戸には強豪の鹿島アントラーズというチームが県内にあって、茨大には筑波大学がある。だから黙っていても優秀な学生さん達がポンポン来るわけじゃない。確かにすごく魅力を持っていてキラっと光るものはあるんだけど、一方ですごく弱点を抱えているような子達が来る。失礼かもしれないけど、おそらくそうなんです。じゃあ我々はどうするかというと、その光ったものをもっと磨いて、弱かった所はもっと補強して育てていく。実は、それと同じようなことを柱谷哲二監督が言っていたんですよ。「水戸は強化費が限られている。その中でこのチームを強くしたい。そこで、どうしたらいいか。少々難ありだけれども磨けば光る、現状に安住していない、そういう選手の光る所を伸ばし、弱い所を補強することによって、少々難ありのものも美味しく食べられるじゃないですか。そういう風に選手を育成していくんですよ」と。なんかすごく茨大の教育方針と似ているの。それで闘将と意気投合してしまった。だからただサッカーを観るっていうだけじゃなくて、その裏まで覗いてみると、教育のヒントとなるようなことを闘将がやっているかもしれない。また、学生の悩みみたいなものを、実は選手が持っているかもしれない。そういうものを非日常の中から感じ取ることも、すごく大事だと思う。結構深いでしょ!?なんてことを、僕は真面目に思っています。

ibadai_05
※高橋修教授が初めて購入した応援グッズ。「2003年に買ったもので、今のメガホンよりも音が大きいんですよ!」。
【写真 米村優子】

――今後、水戸の街づくり、町おこしに水戸ホーリーホックはどのように活用されるべきだとお考えですか?

木村:よく町おこしの担い手というのは、「若者」「よそ者」「バカ者」って言い方をされますよね。それまでのやり方に染まっていないのが「若者」「よそ者」。「バカ者」というのは、その地域から外れた考え方なので新しいことが出来る人って意味ですよね。サッカーのチームって必ず「よそ」から人が来ますし、「若者」だし、あとはどうやって「バカ者」が出て来るか。町の人達が「逞しくて、面白くて、変わった若者だな。でも、あいつと付き合うと楽しいぞ!」という考えが持てるような関係が出来ると一番いいですよね。実は「若者」「よそ者」「バカ者」が町おこしをするのではなくて、それを町の普通の人がどう受け入れられるかが重要。大学もそう。「若者」「よそ者」「バカ者」いっぱいの世界ですから。

藤縄:どれだけ町に受け入れられていくようにするかってことですよね。そこでホーリーホックは使えないことは決してないんですよ。

木村:「若者」「よそ者」「バカ者」と仲良くなるには、とにかく交わらないといけない。

高橋:そうですよね。

木村:だから一番抵抗のない子どもに観て貰うのは、すごく正しいやり方だと思う。子どもが行こうと言えば、親も行きますから。そこで何かを感じるだろうしね。例えば商売やっている人は、ホーリーホックのグッズを作ろうかとかなるかもしれない。自治体はホーリーホックを活用した地域づくりをしようとするかもしれない。スタジアムに行けば、何かしらアイデアが出て来ると思う。

藤縄:その点、ホーリーホック牛乳ってすごいですよね。あれでもう子ども達みんな知っている訳ですからね。

高橋:牛乳文化とコラボした点はすごいですよね。あのキャラクターでこの地域の子ども達は共通認識が出来ている訳ですもんね。

藤縄:群馬はぐんまちゃんで統一できるように、水戸はホーリーくんで全て統一すればいいですよね。

高橋:栃木もレモン牛乳にトッキーを載せるとかね(笑)そういうことを考えた方がいいかもしれませんね。

ibadai_06
※藤縄明彦教授のお宝グッズ。写真左から本間幸司選手が使用していたサイン入りグローブ。還暦祝いにお子さん達にプレゼントされた特製ユニフォーム。こちらは小澤司元選手、本間幸司選手、吉田眞紀人選手のサイン入り。同じく還暦祝いとして水戸スタッフから贈られた吉田眞紀人選手のサイン入りスパイク。
【写真 米村優子】

――水戸ホーリーホックは水戸の街を一つに束ねる固化剤となる可能性を秘めている?

高橋:水戸は同じ方向を向くのが本当に苦手な地域。明治維新の天狗党と諸生党の乱の時から今でも親戚づきあいを絶ってしまっているような。深刻な内ゲバがありましたから。一つの共同体とか、まとまりで同じ方向を向くのが、すごく嫌いですよね。地域の歴史には、やっぱり重い物がある。明治維新を迎える時に、ここから新しい政権を作る思想が興っているのに、誰もいい目を見ていないでしょ?そういう僻みみたいなものももちろんあって、その怨みつらみが相手にも行ってしまう。我々のような外の人間にとってはかえって「本当に深刻な時代を過ごしたんだな…」と感じることが多々ありますよ。そういう中で同じ方向を向かせようというのは、すごい挑戦。色んな人間も新たに入ってきて、昔から地域を守っている人もいて。全部が同じ方向を向く必要なんて全然ないけれども、そういう中で一つでも同じ方向に向ける要素があってもいいのかなと思いますよ。

藤縄:そうですよね。

高橋:そういう大きな挑戦だということは、球団も我々も認識した方がいいのかなと思いますよね。そのことが、なかなかお客が増えない一因であると僕は感じます。とにかく、すごく大きな挑戦です。

藤縄:だからこそ、地道に、息長くやっていくってことが大事なんじゃないですか?木村さんみたいに長く応援していくことが大事。

木村:「負けるから応援に行かねぇぞ!」とかいう人もいるけれど、順位が上がっていない中で観客が増えている。チームに対する目は厳しいものではなく、どちらかというと温かいですよね。

藤縄:負けた瞬間に「もう二度と来るか!」と思うこと、よくあるんだけど、2、3日すると「次はどこと対戦だっけ?」となっちゃう(笑)。こういうバカは結構増えていますよね(笑)

木村:木山監督の2年目に年間勝ち越したのに、次の年にスタメンが9人も変わっていた。高崎、荒田が出て行っちゃった時は辛かった。

高橋:あの年はチャントも上手くハマらない感じだった。選手名鑑見ないと、自分のチームの選手が誰だかわからないぐらいだった。

木村:J2の楽しみは、自分のチームで育った選手が、ビッグクラブに行くっていうのがありますね。

藤縄:それは一つある。

木村:あるんだけれども、あんなに急にね~!そういう色んな波を水戸は乗り越えてきている。今はいい感じかなと思います。

高橋:やっぱりもう少し、選手にプレッシャーを与えるような応援の仕方も必要。熱い、厳しい応援。だけれども長くサポーターをやっていると、“母親的”な温かい目で見てしまう。もうちょっと“父親的”な目で見なければならない。「もうしょうがない。こういうチームだよ」と思う部分もあって、強くするにはそれはダメなんだろうなと思いますよね。

木村:毎年毎年、新しい魅力を発見しないとね。

高橋:藤縄さんみたいに“父親”のごとく熱くね(笑)

ibadai_07
※木村競教授の自慢の水戸グッズは、2002年頃に在籍していた選手のサイン入りボール、選手のサイン入りタオルマフラー、お子さんがスクールに通っていた時の練習着やスタジアムイベントに参加した時の写真。

ibadai_09
【写真 米村優子】

※後編に続く

(取材・構成 米村優子)

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ