デイリーホーリーホック

【HHレポート】ヒューマンストーリー「選手の住居をコーディネートしている元ユース選手の佐々木一成さん」(2012/12/11) ※全文無料公開

クラブの環境に合わせ、サッカーに打ち込める住まいをコーディネート

水戸ホーリーホックの練習場、各種施設は水戸市内に点在している。水府町のホーリーピッチ、河和田町のツインフィールド、笠原町のクラブ事務所、小吹町のケーズデンキスタジアム水戸、市内のジムトレーニング施設…。それぞれの程好い距離を考慮して、可能な限り希望や条件に合い、サッカーへ存分に打ち込める住環境が新加入の選手やスタッフには必要となる。
そのコーディネートを5年程前から担当する、サンクスマッチでおなじみの不動産会社「香陵住販㈱」の営業社員であり、水戸ホーリーホックユースの第一期生だ。
「基本は一般のお客様と同じ接客で対応させていただいています。だから、サインや写真をお願いするのも我慢しています(笑)。体も動かないし、センスもないですけど、今でも『プロになりたい』と思うぐらいサッカーが好き。多分、選手と話している時は、目がキラキラしているはず!」。

1994年に設立されたFC水戸は翌年にユースを結成。当時はJリーグ発足して間もない頃で、日本中がサッカー人気に沸いていた。その真っ只中の中学時代から本格的にサッカーを始め、当然の事ながら抱いたのは、Jリーグへの強い憧れ。
Jリーグ参戦に意欲を燃やし、FC水戸を築き上げた石山徹氏の子息が後輩だったことから、初代メンバーとして誘われ、高校一年の半ばから加入した。
1997年、FC水戸がプリマハムフットボールクラブ土浦を吸収合併して水戸ホーリーホックが誕生。「水戸ホーリーホックユース」として初挑戦したクラブユース選手権では、茨城出身の野沢拓也選手、曽ヶ端準選手らが率いる鹿島アントラーズユースと対戦し、Jクラブとの実力差を思い知らされた。
「でも仲間に恵まれたし、ハイレベルな選手達と対戦も出来た」。
ほぼ毎週土日に水戸駅で実施されたJリーグ昇格のための署名活動も、全て良き思い出。充実した3年間だった。

 ユース卒業後も1年程マネージャーやトレーナーとして、後輩達を懸命にサポート。次第にホーリーホックとは疎遠となったが、大学でもサッカーを続け、その後もフットサルを仲間同士で常にボールに触れていた。そして現在の会社に就職し、水戸の事務所移転を担当。当時、「負けが先行していて弱くて、巷では悪い噂話も蔓延っていた」という水戸との再会を果たした。
「イメージがものすごく悪くて、ユースであったことを恥ずかしいとさえ思った時期がありました…。でも『水戸を変えて良くしよう!』と意気込んでいる沼田社長やスタッフの人柄に触れて、元ユースとして何か協力したいという気持ちが強くなったんです」。
眠りかけていたホーリーホックへの情熱が溢れ出した。


【写真 米村優子】

模範になるクラブへと進化したホーリーホック

韓国代表を目指して奮闘し、移籍先からも連絡をくれたキムテヨン選手、水戸ホーリーホックを心から愛していた清水泰博マネージャー、サッカー以外の話題でも共に盛り上がる仲となった岡田佑樹選手…。今まで10名以上の住居探しを通じて、Jリーガーやスタッフの素顔に触れた。「皆さん、サッカーに対してすごく真面目。でも本当に面白くて、良い方ばかりですよ」。

サッカー好きのお客様には積極的にホーリーホックの魅力を伝え、スタジアムへの来場を薦めるという地道な努力も欠かさない。もちろん自身もホーム戦は出来る限りスタジアムへ足を運び、家族や元ユースの仲間達とスタンドからピッチへ声援を送っている。
「普通ならなかなか会える機会がない元日本代表、W杯経験者とか一時代を築いている選手が身近にいるなんて素晴らしくないですか?水戸には僕達が目指していた、憧れていた選手がいる。ファンに気さくに対応してくれるし、練習を観に行けば必ず握手が出来る。夢を見ている地元の子ども達の良いお手本にもなりますよね。誰にでも気さくに接して、熱い心を持っている沼田社長も素晴らしい。サッカーが好きな人から見ても模範になれるクラブになったと思います」。
夢だったサッカーに携わる仕事に邁進する初代水戸ホーリーホックユース選手は、誇らしそうに微笑んだ。


【写真 米村優子】


佐々木一成さん
1979年水戸市生まれ。同市在住。不動産会社「香陵住販㈱」社員。1995年に高校1年時にFC水戸ユースに加入し、サイドバックやサイドハーフとして黎明期の水戸ホーリーホックユースを支えた。同期はFリーグ「名古屋オーシャンズ」「デウソン神戸」で活躍した杉山哲一選手。選手のサッカー環境に合わせた住居のコーディネートで再びチームに貢献。「J1ライセンスが交付されなかったのは痛いですし、チームの現状も正直物足りない。来季は今まで以上に水戸にとって節目となる、とても大切なシーズンとなる気がします」。

(米村優子)

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