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【無料記事】寺田紳一「今はサッカーのことを毎日、選手時代より考えてます」……OB数珠つなぎインタビュー第1回・前編

 

▼日々勉強というか、サッカーのことばかり考えてます

――引退後はどうしていましたか?

「まずはゆっくり体を休めたのと、指導者になりたいという気持ちがあったので、いろいろ問い合わせをして、受け入れてくれるチームに参加させてもらいました。勉強というか、どんなことしてるのかなというので、いろんなところに。栃木にも挨拶も兼ねて行きましたし、栃木シティで岸さん(岸野靖之)さんが(戦略統括責任者を)やってたので栃木シティにも行って。あとは松本山雅とか新潟のアカデミーにも行きました。新潟はガンバでも先輩だった松下年宏さんがジュニアユースを見ていたので、ジュニアユースの指導ってどんなことしてるんやろと思って。山雅はガンバユースの先輩がフロントで働いてて、名波さんが監督になってたから、好きやったんで面識はなかったんですけど(笑)、見てみたいと思ってお願いしたら『いいよ』って言ってくれたので」

 

――横浜FCにいたときに野崎陽介さん(現横浜FC U-15コーチ)たちと一緒にB級ライセンスも取ってましたよね。指導者になろうと思ったのはいつごろから?

「最初2016年にC級を取りに行ったんですけど、その時は全然興味なかったんですよ(笑)。まあみんなが取りに行くって言うんで、とりあえず行っとくかと思って行ったら、今まで選手目線でしか見てなかったけど、指導者ってこんなことまで考えて選手のためにやってたんやなと気づかされて。そこからもう、監督とかコーチに対して文句とか言わんとこうと思うようになりました(笑)。こんなに日々考えてトレーニングしてんねやなと思ったら、申しわけないという気持ちしかなくて。それまではけっこう本気で『こんな練習意味あるんかな?』とか思うこともあったし、冗談でコーチにそういうことを言ってコミュニケーションを取ったりしてたんですけど、でも実際に今自分が指導者になって、そんなコミュニケーションの取り方をしてくる選手がいたら、相当イラっとすると思います(笑)。それを僕はやってたんで、今までの指導者の人に謝りたいです」

2017年のキャンプでの練習試合。中田仁司監督の指示を聞く寺田さん

 

――そのころからセカンドキャリアは指導者にと?

「その時はまだ漠然と、でしたね。とりあえず取っておけば、もしやりたくなったときにいいかなと。30歳を過ぎてから、練習中に若い選手からプレーについて聞かれることも多くなって、そのときに自分の中で思ったことを伝えているうちに、こういうのいいなって思うようになって。引退したら指導者の道に進みたいなと、だんだん思うようになった感じですかね」

 

――今はスクールでコーチもやっているとか?

「はい。引退した年の10月から、週1回ですけど。弟がコーチをやっているスクールがあって、そこに僕も入って、ゆくゆくは僕と弟でそのスクールを運営していくような形になると思うんですけど」

 

――そしてティアモ枚方でコーチになるまでは?

「どこかコーチをやらせてくれるチームはないか探していたら、新井場(徹)さん(ティアモ枚方の創設者)から話をいただいて。最初はアサンプション中学校の指導者に、スポンサー企業で働きながら夕方から中学校でということだったんですけど、Jリーグとかトップのコーチをやりたいなという思いもあって、無理を言って『午前中にティアモをやらせてもらって午後は中学校でお願いできないですか』と。そしたらやらせていただけたという形です。それが今年の1月からで」

 

――今はコーチとして日々どう過ごしていますか?

「最初はズミさん(小川佳純)が監督だったんですけど、9月下旬にタケさん(武田博行)に交代したんです。ズミさんは何でも一人でできるような人で、本当にすごいなと思ってたんですけど、タケさんはもともとGKコーチだし、『みんなで助け合いながら頼むわ』みたいな感じで。だから僕も今すごく良い経験していて、毎日充実しています。もう一人、ガンバユースで2年下の植田龍仁朗と一緒にコーチをやってるので、コーチングスタッフみんなで日々トレーニングを考えながらやってて、すごく勉強になってます」

 

――どんなところが勉強になりますか?

「たとえば次の対戦相手に向けてどういったことをトレーニングで落とし込めばいいのか考えないといけないし、監督が代わったタイミングがリーグ終盤だったので、そこからまた新しくというよりは、ズミさんが築き上げてくれた中で、さらにちょっとでもプラスにというところでしかないですけど、それを日々考えながら。しかも午後は中学生もあるので、そっちも真剣に考えて。それとスクールもあるし。だから小学生、中学生、大人と、けっこうパンクしそうではありますけど(笑)、日々勉強というか、サッカーのことばかり考えてます」

 

――小学生には技術を教える感じですか?

「そうですね、一人一人、個人のところですね」

 

――中学生になると戦術的なところも入ってくる?

「僕は中学1年生がメインなので、まだ個人のスキルアップがメインですね。そこを重点的にしながら、でも大人のサッカーに移行していくというので、グループの戦術とかそういったところも少しずつ……、というイメージでやっています。成長の度合いもあるので、中1だともう僕よりデカいヤツとかいるんで(笑)。まあ一人一人、その子の特徴に合った伸ばし方を考えてという感じです」

 

――寺田さんが小学生とか中1くらいの子に教えたら、やっぱりドリブルの上手いお兄ちゃんって超尊敬されるんじゃないですか?

「まだ動けるんで、一緒にプレーしたら『ワー』ってなりますね(笑)。動ける間は、見て盗んでもらおうかなと。僕もそうやって、誰かの真似をしたりして育ってきたんで。手っ取り早いというか、そういうのが子供たちには良いのかなって」

まだまだドリブル技術は衰えていなさそう

 

――僕がヴェルディの担当をしていた2017年に、当時ヴェルディにいた橋本英郎さんと話したことがあって。寺田さんが怪我して二川さんがヴェルディから栃木に移籍したじゃないですか。『2人ともオグリさんにラストパス出す役目なんじゃないですか?』って言ったら、英郎さんが『チンはパサーじゃないよ。器用だからラストパスも出せるけど、アイツの本質はドリブラーだから』と言ってました。

「ガンバにいたときはドリブルばっかしてたんで(笑)。横浜FCに行ってポジションが変わったり、チームで求められる役割が変わって、パスを出すようになった。ガンバのときの僕を知ってる人たちは、パサーじゃなくて絶対にドリブルで仕掛ける選手だと思ってると思います」

 

――確かに横浜FCでも、煮詰まってくるとドリブルで剥がしにいってましたね。

「基本はボールをずっと持っときたい人間ではあるかもしれない(笑)。僕が小学校の時いたチームは5年生になるまでパス禁止やったんで、そういうのもやり方の一つとして面白いなと、振り返って思いますね」

 

――自分みたいなドリブラーを育てたい?

「まあドリブルもそうですけど、ボール扱いは上手くなったほうがいいとは思うので、たまに『今日はパス禁止な』とか言ったりしてます(笑)」

 

――日々、充実しているようですね。

「良く言えば、充実ですね(笑)。というより、パンクしそうです(笑)。サッカーのことを、選手をやってたときより考えてるから」

 

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