「ザ・ヨコハマ・エクスプレス」藤井雅彦責任編集:ヨコハマ・フットボール・マガジン

新体制発表会でサポーターの方々とタッチしながら壇上に行くけれど、こんな感情になるんだって驚きました。「おかえり」とたくさん声をかけてくれる。そういう場所があるのは当たり前じゃない [天野純インタビュー]

天野純選手インタビュー

実施日:1月28日(日)

インタビュー・文:藤井 雅彦

 

アマジュンがマリノスに帰ってきた。

ACLラウンド16ではさっそく逞しいプレーを披露し、クラブ史上初となるベスト8進出に貢献。

みなぎる自信の背景にあるのは、韓国で過ごした濃密な2年間だった。

 

 

日本とJリーグでは得られない経験が、彼をひと回りとふた回りも大きくした。

「必然的に自分が引っ張ることになると思うから」

強気な言葉に、明確な理由がある。

頼もしき背番号20が、自身初のJリーグ制覇に挑む。

 

 

 

 

全北現代は精神面を強調するスタンスで、試合に勝てないと次の試合まで1週間ミニキャンプとか(笑)

 

――約2年前、蔚山現代へ期限付き移籍することが発表された際の公式リリースに「恵まれた環境に甘えてしまっている自分がいる。厳しい環境で揉まれて、逞しい選手になりたい」と綴っていました。あらためてどのような心境で旅立ったのですか?

「自分のようなキャリアの選手が韓国へ行くというのは、あまり前例がない移籍だったと思います。正直に言えば不安しかなかったけれど、意外とすんなり馴染めました。プレシーズンの練習や練習試合ではチームメイトに認めてもらっているのか分からなかったのが、公式戦が始まってからは自分への見方が変わってきたのを感じました」

 

 

 

――いわゆる外国籍選手としての扱いですね?

「パスが来ないとまでは言わないけれど、試されている感じはありました。「どれくらいできるの?」みたいな目で見られているのは雰囲気で伝わってくるから。韓国ではメディアも頻繁に『外国籍選手』というワードを使います。「外国籍なのに」とか「外国籍選手が活躍できていない」とか。報道をチラッと見ると韓国語を理解できる範囲でも、そういった言葉が並んでいる。移籍金やレンタル料、それに年俸といったところで予算を割いているだろうから、そのぶん厳しいのは当たり前だと思います。試合に負ければ厳しく叩かれ、非難されることもある。口には出さなくても韓国人のチームメイトも同じように思っているところはあったでしょうね」

 

 

――ファンやサポーターの反応はいかがでしたか?

「結果を残せば、すごく温かく接してくれます。でも結果を出せなければ、とにかく叩かれる。とにかくドライでしたね。周りからのプレッシャーという話で言えば、蔚山現代の時よりも全北現代のほうが気になったかな。蔚山では活躍できていたこともあるけれど、それによって期待値が上がってからの全北では難しさがありました。チームとして結果が出ないと、どうしても叩かれてしまう。ストレスまではいかないけど、プレッシャーは感じていました」

 

 

 

 

――日本ならば外国籍選手のパフォーマンスを上げるためのサポートや工夫を考えるところだと思いますが、韓国ではさらに追い込まれていく、と。

「パフォーマンスが2~3試合でも悪かったりすると戦力外のような扱いを受けて、Aチームの練習に参加させてもらえなくなる外国籍選手もいます。僕と同部屋だったハンガリー人も、まだ1ヵ月くらいしかいなかったのにBチームに行かされてしまって……。ちょっとでも調子が悪いとセカンドチーム送りになってしまう危機感があったので、常に緊張状態でした。幸いにして自分は一度もそういったことにならなかったけれど、全北ではブラジル人3選手がBチームだった時期もあります。日本だったら活躍できるように私生活含めてサポートすると思うけれど、韓国では真逆の扱いだった」

 

 

――練習内容や方向性の部分で違いを感じる部分も多かったのでは?

「蔚山には日本人スタッフもいたので、練習の内容も雰囲気も日本に近いスタイルでした。しっかりとボールをつなぐし、戦術練習もやりました。対照的に全北は精神面を強調するやり方で、試合に勝てないと次の試合まで1週間ミニキャンプとか(笑)。家にまったく帰れないから、特に外国籍選手にとってはめちゃくちゃつらい。去年のシーズン序盤はチーム状態が悪かったので、それが3~4回ありました」

 

 

 

――クラブハウスに缶詰め状態!?

「練習グラウンドのすぐそばにホテルみたいな施設もあって、ハード面が充実しているからそういうことができてしまうんです(笑)。僕個人としては両足首を捻挫して、その2回の怪我でトータル3ヵ月くらい離脱してしまった。メディカルの部分も日本と違いが大きくて、一度離脱すると復帰するのに時間がかかってしまいます」

 

 

 

――サッカーのレベルは? 日本と韓国ではスタイルが違うようにも感じます。

「一概に比べられないけれど、レベルが低いわけではありません。ACLでも韓国のチームは普通にグループステージを突破しますよね。僕だけではなく経験した選手みんなが似たようなことを言うとすれば、スポーツの種類が違うんです。日本のようにボールをつなぐチームはほとんどありません」

 

 

 

――フィジカル勝負や肉弾戦といった土俵ですね?

「掴んで投げるみたいな柔道技をかけられたこともあります(笑)。あとはラグビーみたいなタックルも。レフェリーにとってもそれが普通だから、警告どころかファウルにもならない。周りからは「倒れるな!!」と言われるけど、掴まれたら身動き取れないです(笑)。ただ、蔚山の時はそういった相手の激しいプレッシャーを逆手に取るサッカーをチーム全体でできていて、それで優勝できた経験は財産です」

 

 

――ちなみに天野選手の体重やフィジカル面の変化は? グラウンド上でのシルエットはあまり変わっていないように見えます。

「体重そのものはほとんど変わっていません。でも筋トレの量は間違いなく増えて、それは今も継続しています。たぶん日本にいた時よりも3倍くらいやっている。今はオフシーズンを挟んで体重が落ちてしまっているけど、これからもうちょっと大きくなった状態でシーズンを戦っていくはずです」

 

 

 

――話を聞かせてもらっていると濃密な2年間だったことがひしひしと伝わってきます。

「2022年に蔚山の一員としてKリーグ優勝に貢献できて、自分が全北に移籍した2023年も蔚山が優勝しました。結果のところだけを切り取ると全北への移籍と去年のシーズンは失敗のように思われてしまうかもしれないけれど、韓国国内では全北が一番大きなクラブです。ベンチメンバー含めて韓国代表の選手ばかりで、施設も充実していて、もちろんバジェットの意味でも大きい。難しい時間も多かったですが、練習も激しかったですし、毎日が刺激的でした」

 

 

――苦しい時期も含めて経験ですね。次は、それをF・マリノスに還元するフェーズでしょうか?

「日本では絶対にできない経験だったと思いますし、選手としてだけではなく人間としてひと回り大きくなるための時間でした。F・マリノスに復帰してからはチームメイトのみんなも韓国やKリーグについて興味があるみたいで、いろいろと聞かれます。若い選手にとっては自分が経験したリアルな話を聞くだけでも刺激になると思いますし、いろいろな世界と選択肢があると知るだけでも意味があるはず。僕自身のプレーでF・マリノスを勝利に導いて、タイトル奪還に貢献したいのはもちろんですが、ピッチ外でもいろいろと伝えていけたら理想的です」

 

 

 

 

自分の希望で2年間韓国へ行って、それでも「おかえり」とたくさん声をかけてくれる。そういう場所があるのは当たり前じゃない。

 

――F・マリノスの居心地はいかがですか?

「まずは日本語が通じるからいいですよね(笑)。日本語を話せる韓国人は多かったけれど、僕は基本的に外国人と一緒に行動していました。欧州の選手もそうだし、ブラジル人も。彼らといるとお互いにあまり気を遣わなくていいから。日本人同士はちょっと気を遣うから、そこに慣れていかないと(笑)」

 

 

――監督交代のタイミングでの復帰になりました。決断を左右する出来事にはならなかったのですか?

「もちろんケヴィン(マスカット前監督)は一緒にやっていた人ですが、僕にとってF・マリノスは監督人事云々で帰ってくる、帰ってこないの次元ではありません。クラブとは継続的にコミュニケーションを取れていたと思います。だから12月に入って監督交代すると知った時は驚きました(笑)。でも、それによって自分の考えが変わることはありえませんでした」

 

 

 

――ハリー・キューウェル新監督の印象はいかがですか?

「ポジティブな人で、アドバイスをたくさんくれます。そこはプレーヤー目線を持っているのかなと感じます。キャンプではビルドアップの時に立ち位置を守るところからスタートしたけど、選手個々が自分なりに解釈してアレンジすることも重要。僕はシャドー(インサイドハーフ)に入っているけれど、ボールを運ぶのに苦しんでいるなら後ろを助けに行きます。監督はそれをNOとは言わないですし、自分の判断を正解に変えればいいだけ。チームとしての約束事や規律を守ることは大切だけど、その時々の判断も尊重してくれる監督だと思う。真面目にやり過ぎないことも必要、みたいな感覚です」

 

 

 

――昔からそういった思考でしたか? 少し印象が変わったような……。

「試合に出始めた若い頃は監督に言われたことだけをやっていました。それさえやっていれば試合に出られたので。でも海外移籍や人生経験を経て、自分でアレンジしてやっても、結局うまくいけば監督は何も言わないことが分かりました。だから求められていることを理解しつつ、自分の考えを大切にしています」

 

 

 

――さすがプロ10年以上のキャリアです。

「2014年にプロ入りしたから、今年で11年目か。考えたことがなくて、今初めて知った(笑)。最初は試合に絡めなくて苦しんだ時期もあったし、10年後の今の姿はなかなか想像できなかった。キャンプ中の練習試合でシュンさん(中村俊輔/横浜FCコーチ)に会って「まだ32歳なの? 全然いけるじゃん」と言われて嬉しくなりました。

 

 

 

 

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