「点を取ってナンボだと思って、ずっとサッカーをやってきました」 村上悠緋はストライカーとして、この道を歩んできた。 [村上悠緋インタビュー(後編)]
村上悠緋選手インタビューコラム(後編)
実施日:9月13日(水)
インタビュー・文:藤井 雅彦
村上悠緋はストライカーとして、この道を歩んできた。
「点を取ってナンボだと思って、ずっとサッカーをやってきました」
スタートポジションが右サイドバックになっても、その信念は変わらない。
チャンスと見るや相手ゴール前へ侵入し、勇猛果敢に狙う。
さぁ、念願のプロ初ゴールはいつ生まれるのか。
リーグ戦か、ACLか、あるいは来週のルヴァンカップか。
飛躍の瞬間を、この目で見届けたい。
→前編からつづく
村上悠緋がサッカーと出会ったのは6歳の時。
北の大地でボールと戯れ、すぐにのめりこんだ。最初に興味を抱いたポジションは、その後に歩んだ道と正反対の役割だった。
「サッカーを始めた頃はGKをやりたかったんです。だからGKグローブも買いました(笑)。少年団の監督にもGKをやりたいとお願いしていました」
たったひとつしかないポジションの特異性に心を奪われたのだろうか。抜群の身体能力で次々とシュートを止めていく。しかし、村上少年の気が変わるのに多くの時間は必要なかった。
「前のポジションで試合に出場して点を取ってから、すぐに考えが変わりました(笑)。小学校3年生くらいだったと思うので、たぶん9歳くらいの時です。点を取る楽しさに病みつきになってしまいました。子どもって強いシュートに憧れるじゃないですか。漫画やアニメに登場するGKの手を弾いてゴールネットに突き刺さる強烈なシュート。僕もそういうゴールを決めるのが快感でした」
以降、ストライカー一筋の人生を歩んでいる。「点を取ってナンボだと思って、ずっとサッカーをやってきました」という言葉通りに、目に見える結果で存在意義を示してきた。
中学から高校、あるいは高校から大学と進学した瞬間、立場としては低学年になる。それでも村上にはゴールという動かぬ証拠があった。コンスタントに試合出場を重ねられたのも、プロ契約の切符も、すべてはゴールのおかげ。
だからF・マリノス加入後に公式戦の舞台から遠ざかった経験は、人生で初めての出来事だった。シーズン序盤のルヴァンカップや天皇杯で途中出場したが、ようやく先発の座を勝ち取ったのは夏の終わりが近づく9月に入ってから。
試合になかなか絡めない時間を、どんな思いで過ごしたのか。
「これだけ試合から遠ざかるのは未知の感覚でした。最初は『どうしたらいいんだろう』という気持ちになった時もありましたし、練習内容によってはグラウンドの外でボールを蹴る日もありました。でも、気持ちが腐ることはなかったですし、F・マリノスのために頑張りたいという気持ちしかありませんでした」
夏の移籍ウインドー中はもちろんのこと年齢的に育成型期限付き移籍が可能な村上に対し、代理人やクラブへ獲得打診が舞い込んだという。J2の得点源を欲しているチーム、J3で上位を争うチームなどなど、出場機会を求める選択肢があっても不思議ではなかった。
だが、そんな考えを一刀両断する。
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