鉄人が作られていく過程 ・・・中澤佑二と番記者の12年半
クラブのオフィシャルリリースでも、本人のブログでも、中澤佑二が現役引退を決断した時期については語られていない。
しかし、年末になって年越しが近づくと徐々に方向性が見えてきた。どこからともなく“噂”が聞こえてきた。
12月1日、セレッソ大阪との最終節に途中出場し、8分間プレーしている(アディショナルタイムを除く)。試合後、自身の去就について多くを語ることはなかったが、この時点ではまだ何も決まっていなかった。「引退が決まっていたから記念出場した」という見解・認識は間違いだ。
その後、行われた納会でも「可能性は五分五分」と周囲に漏らしていたという。現役続行か、あるいは引退か。その両方の間を揺れ動いていた。
筆者は2006年夏からマリノスを担当している。したがって中澤佑二についての取材歴は12年半になる。その間、さまざまな局面と媒体で貴重な話を聞かせてもらった。
サッカー専門新聞で担当を任された当時は、気安く話しかけることのできない特別なオーラを発していた。自身1度目のワールドカップ直後で、日本代表が惨敗に終わったことも影響していたのだろう。一介の若手記者にとってはハードルが高すぎる相手だった。
中澤は2010年に2度目のワールドカップを戦い、今度はベスト16進出の立役者となった。ようやくコミュニケーションを取れるようになったのは、その少し前だっただろうか。
「記事、読みましたよ」
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