「ザ・ヨコハマ・エクスプレス」藤井雅彦責任編集:ヨコハマ・フットボール・マガジン

【移籍の真相】金井貢史が「マリノス戦に出たい」と語った理由(藤井雅彦)

金井貢史が「マリノス戦に出たい」と語った理由

8日、マリノスは金井貢史(22)がJ1・サガン鳥栖へ期限付き移籍することを発表した。前日にリリースされた松本怜(→大分トリニータ)、松本翔(→愛媛FC)に続いて、これで3人目の期限付き移籍を発表したことになる。ただし二人の松本と金井では立場に明らかな違いがある。出場機会をつかみきれなかった松本怜、松本翔とは異なり、金井は出場機会に恵まれなかった印象が強い。

2008年にユースからトップチームに昇格した金井はルーキーイヤーから出場機会を得た。きっかけは7月の監督交代で、桑原隆監督から木村浩吉監督にスイッチしたことが大きな転機となった。思い切った起用法を見せる木村浩吉監督は監督就任から4試合目の強豪・ガンバ大阪戦で金井をスタメン起用。中澤佑二、小椋祥平とともに急造3バックを形成した金井は持ち前の守備センスを存分に発揮し、木村浩吉に監督就任後の初勝利をプレゼントした。翌年の2009年も層の厚いDF陣に混ざりながらも一歩も引かず、一定の出場機会を確保する。「勝ち運を持っている」と本人も笑みをこぼしたように、出場したゲームでの勝負強さが光っていた。

その矢先の2010年、金井はある不祥事を起こしてしまった。あえて詳細を語らないことにするが、金井にとっては非常に苦しい時間となった。原因が自分自身にあるのは明白で、だからこそ更生活動に真摯な姿勢で取り組み、人間的に一回り大きくなった。そして復活を遂げる足がかりをつかむ。

金井が完全にレギュラーを確保したのは2011シーズンの後半であった。ベテランの波戸康広をベンチへと追いやり、左SBで念願のレギュラーを獲得。その勢いのまま2012シーズンを迎えたが、今度は五輪代表の比嘉祐介が加入するという試練を迎えた。そんな場面でも「オレは比嘉と勝負したい」と闘士剥き出しにして比嘉の加入を喜んだ一幕は、彼の強い個性を示すエピソードと言えるだろう。その結果、開幕戦の柏レイソルからスタメン出場を果たすなど比嘉に一度もポジションを譲らなかった。

順風満帆な風向きが変わったのは4月下旬にドゥトラの再加入が決まってから。純粋なポジション争いの末にスタメンを譲ったというよりも、過去の実績や経験値を優先した起用法は端から見ていても不自然だった。金井が「勝負したいのにできない」と漏らしたのは一度や二度ではない。無条件でポジションを明け渡す格好となり、その後は不遇をかこった。そんな逆境にもめげることなく、シーズンが終わるまでにドゥトラの負傷時、または小林祐三が出場停止や体調不良で得たスタメンの機会で、金井は目に見える結果を残した。しかし最後まで首脳陣の信頼を勝ち得るには至らず、天皇杯では負傷がちなドゥトラのサブに回った。

さらに移籍を決意する決定打となったのがパフォーマンスに対する低い査定である。2013シーズン限りで複数年契約が切れる金井に対して、クラブは単年契約を提示。つまり新たに複数年契約を結ぶのではなく、

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