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【インタビュー】 中島崇典「子供たちを育てて、僕のいたチームに送り込む。それが僕の夢です」……OB数珠つなぎ第2回・前編

 

▼俺、こういうこともやっていかなきゃいけないだろ

――引退後はすぐにスクールを始めたわけではないですよね?

「はい。今、サッカー用具もいろいろ良いものが増えてきてますけど、やっぱりモノが高いというのが気になっていたので、ACeL(エシェル)というブランドを立ち上げて、ソックスとかスネ当てを作り始めました。J3も経験して、安い年俸でやってる若い子たちもたくさん見てきたので、『できるだけ安く、良いものを』と。僕がケガして終わったので、ケガ防止になるようなものとかを作っていけたらなと思って」

 

――スクールを始めて、その宣伝的な感じでブランドを立ち上げたわけじゃないんですね?

「違います。逆です。鳥取にいた最後のほうにはもうカーボン素材のスネ当てのこととかをすごく調べたりしていました。だからすんなり(現役を)やめられたというか、セカンドキャリアはこれをやっていこうというのをある程度決めていたので。まあやってからいろいろ大変さに気づきましたけどね(笑)。何回も作り直したりで、商品化できたのが2017年の秋。知り合いの会社のオフィスの一角を借りて、事務所を構えて」

 

――そこからスクールにどうつながっていきますか?

「僕が1回目に横浜FCにいたときに一緒だった臼井幸平くんが横浜でサッカースクールをやっていて、そこのアドバイザーになってくれないかと頼まれたんです。それでアドバイザーになったら、2019年の春に、セレクションで受かった子を集めてスペイン遠征があったんですけど、幸平くんが行けなくなって、僕に『行ってきて監督をやってくれ』と。昔から指導することにはあまり興味がなかったんですけど」

 

――興味なかったんですか?

「はい、全然(笑)。イベントとかでサッカー教室とかやるじゃないですか。そういうので『教えるのって難しいな』って思ったので。楽しくワーワーやるぶんにはいいけど、実際にスクールとかだと本当に上達させなきゃいけないだろうし。でも、それでスペインに10日間くらい行って、スペインのいろんなチームとやったんですけど、その10日間で子供たちがめちゃくちゃ上手くなっていくんですよ。それを見た瞬間に、『俺、こういうこともやっていかなきゃいけないだろ』と思って。そこから指導することに興味を持って、スクールをやってみようかなと」

 

――千葉でスクールを始めることにしたのは?

「最初は横浜でやろうかと思ったんですけど、横浜には横浜FCがあるし、そこじゃないなと。まず地元の千葉かなと。自分以来、小学校のチームはプロが出てないし。中学校では今新潟にいる田上大地がいるくらいで。自分のいたサッカーチームの子供たちもどんどん減っているし、もう一回盛り上げたいなというところで、地元に帰ってきてスクールを始めることにしました。動き始めたはいいんですけど、コロナ禍になってグラウンドが使えないとかいろいろあって、ようやくスタートできたのが2020年の9月でした」

スクールで子供たちを指導する中島さん

 

――今までどんな苦労がありましたか?

「最初に体験会をやったんですけど、それで入ってくれたのが幼稚園生2人、低学年2人、高学年1人の全部で5人でした(笑)。千葉にもけっこうスクールはあるし、現役だったらもっと来てくれたと思いますけど、もう引退して4年くらいたっていたし、自分のネームバリューのなさに愕然としました(笑)」

 

――現役でスクールを立ち上げる選手もけっこういますよね。

「絶対にそのほうがいいと思います。子供たちが『この選手のスクールにいるんだ』って分かりますからね。俺のプレーなんて、YouTubeでもなかなか出てこないですから(笑)。だからそれはキツかったですけど、来てくれたことが嬉しかったですね。高学年の子なんて1人だったから、1人でも毎週、雨に打たれながら練習して。それでどんどん上手くなっていったし」

 

――そのぶん密度の濃い指導が受けられるということでもありますね。

「そう(笑)。だけどやれることが限られちゃうから、もっと人数がいたらこういう練習もできるのになということもあるので。だから人数を増やすことが一番で、そこはまだ苦労しているけど。チラシを作ってポスティングしたり、そういうのが結果に結びついて人が来て、『あ、俺が作ったチラシで来てくれた子だ』とか、そういうのがまたすごく嬉しい。苦しいけど、喜びもそのぶん大きいというか」

 

――今はどれくらいの規模になっていますか?

「全部で50人くらいです。今までは週3回千葉市、佐倉市で週1回でやってたんですけど、千葉市はジェフもあって激戦区でもあるので、今は千葉市が週1回、佐倉市が3回になっています。佐倉市のサッカー協会からグラウンドを提供していただけるようになったり、これから佐倉市で中学生のサッカーチームを作る計画もあるので、ちょっとずつ佐倉市に比重を移してます。佐倉市もけっこう少年サッカーのレベルが高くて、面白くなりそうですよ。千葉市と佐倉市のサッカーの発展につながって、将来、僕が教えた子たちが選手になって活躍することで、サッカー界に少しでも恩返しできたらなと思います」

子供たち一人一人に丁寧に指導する

 

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