柳沢将之が語る「特別な一戦の理由」(23.6.29)【東京ダービー連動企画】

往年の東京ダービーを回顧する柳沢将之さん。
7月12日の天皇杯3回戦で、12年ぶりの東京ダービーが実現する。東京ヴェルディのJ1時代、FC東京との戦いを経験し、現在もクラブに在籍している柳沢将之さん(スクールSDGs部)は貴重な証言者だ。選手にとってどのように特別だったのか、話を聞いた。
■ダービーは自分たちもサポーターも熱くなった
――FC東京とは久しぶりの対戦です。チームはもちろん、あらゆる面で世代交代が進み、ダービーと聞いてもいまいちピンとこない人が少なくありません。そこで、おさらいを兼ねて、往年の熱い戦いを知る証言者の言葉を届けようという企画です。どうぞよろしくお願いします。
「はい、よろしくお願いします」
――柳沢さんが東京ヴェルディ(当時は東京ヴェルディ1969)に在籍したのは、2002年から2006年までの5シーズン。FC東京との対戦で思い出されるのは?
「同じ東京をホームとする者同士、絶対に負けられないんだとみんなで話していました。味スタの雰囲気もほかとは違い、FC東京のホームゲームではヴェルディのサポーターが右側のゴール裏に陣取り、いつもと逆だなと思ったり。お客さんがよく入っていましたね。スタジアムにバスで到着したあと、グラウンドに出てスタンドを見渡し、おっ、今日はたくさん入っているなあと。選手なら誰しも観客が多いほうが燃えて、集中力が増すもの。ダービーは自分たちもサポーターも熱くなっていた印象が残っています」
――FC東京戦で初めてメンバーに入ったのが、2002年7月24日のJ1 1stステージ第10節。東京Vがエジムンドの2得点で2‐1の勝利を収めています(出場なし)。初出場は同年9月18日の2ndステージ第4節。エジムンドのゴールで先制するも、アマラオとケリーのゴールで逆転負けを喫しました。
「初めてダービーに出たときは、白のユニフォームでしたね。アマラオがボールを持った際、双方のサポーターが醸し出す空気感が特別で、ケリーのこともよく憶えてます。あの選手はとにかく身体が強かった」
――両チームを通じ、東京ダービーで最もゴールを決めたのはエジムンド(4得点)となっています。
「エジムンドは強烈でしたよ。僕はブラジル人と仲よくさせてもらっていて、彼らから見て絡みやすかったのか、コミュニケーションをわりと多く取っているほうでした。エジムンドが左サイドにいて、切り返すタイミングがあるんです。その前に走り出していれば、右サイドにボールが出てくる感覚でした。紅白戦のとき自分はBチームで対峙することが多く、彼の巧さを思い知らされています。あの頃は誰もが練習からかなり激しくやり合っていて、入ったばかりの自分は怖さを覚えるほどでしたね」
――FC東京にも知っている選手がいましたか?
「法政大時代、対戦したことのある選手が何人か。中央大の宮沢(正史)さんはひとつ上で、筑波大の戸田(光洋)さんがふたつ上です。モニ(茂庭照幸)は国体の神奈川代表のチームメイト。そもそもヴェルディに入る前、FC東京からも声をかけられて、2001年に練習参加していたので」
――初耳です。ということは、青赤のシャツを着ていた可能性も?
「ありましたね。可能性としては。最終的に、ヴェルディ、FC東京、ヴィッセル神戸の3つからオファーを受け、どうしようかと考えた末に選び取った形です」
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