【無料記事】【トピックス】検証ルポ『2021シーズン 緑の轍』終章(21.12.28)
終章 ふたりのベテラン
■自分たちの使命だった
2001年1月28日、グラウンドは一面の雪景色だった。ヴェルディ川崎から東京ヴェルディ1969に改称した節目の年、新たなシーズンに向けて始動日を迎えた。
キラキラして見えたのは、雪の照り返しのせいだけではあるまい。北澤豪、林健太郎といった日本代表経験者がいて、新加入の面々も前園真聖、武田修宏、菊池新吉らレンタル復帰組、小倉隆史、永井秀樹(前監督)、三浦淳宏(現・淳寛)など豪華絢爛である。
居並ぶスター選手たちの陰に隠れ、向上高から加入した柴崎貴広、ユースから昇格した富澤清太郎はひっそりと立っていた。同じルーキーなら佐野裕哉と小林大悟の清商コンビのほうが注目度は上。当時、J1は16チーム、創設3年目のJ2は12チームで、Jリーガーになるのはいまよりずっと狭き門だった。
僕は、存在感の薄いふたりの若者を特に気に留めなかった。もとより長居する気はなく、自分の書きたいものを書いたら、さっさと次の場所へと移るつもりでいたからだ。
20年の歳月が流れ、再びチームメイトとなった柴崎と富澤を、僕はピッチの外から見ている。まさかこんなことになろうとは。人生、わからんもんだなあと感慨にふけった。東京Vが自分の「明日」になったのはいつのことだったんだろう。
今季、柴崎は8試合、富澤は4試合の出場に終わった。ピッチで結果を出すのがプロの本分ではあるが、チームに対する貢献度は必ずしも計量可能とは限らない。
梶川諒太は言う。
「今年は本当に大変なことがいろいろあって、シバくんやカンペーさんには『この状況で、自分たちはどうすればいいんですか?』と何度も相談させてもらいました。いつも慌てず騒がずじっくり話を聞き、気持ちを落ち着かせてくれて。あのふたりがいなければ、チームはぐしゃぐしゃになっていたかもしれない」
その言葉を受けて、柴崎はこう語った。
「自分たちに求められていた役割であり、何も特別なことをしたわけではないです。新聞や週刊誌に出て、いろいろと事実ではないことも言われ、個人的にもあの問題は苦しかった。投げ出したいと思ったときもありました。ただ、ああなってしまったのは、ベテランである自分の責任でもある。彼(富澤)とも話しましたが、こういうときに自分たちがいてよかったと。使命だったのかなと思います」
柴崎と富澤は今季をもって契約満了となり、チームを去ることになった。20年以上もプロの世界で生き抜いたのは、それだけで大きな勲章である。どうか、心ゆくまでピッチを駆けてほしい。
20年前、国内トップクラスを誇った東京Vの施設も、クラブの財政事情が変わり、グラウンドの使用状況が変わり、あちこちにガタがきている。
契約更改の場で交渉にあたり、同時に選手からの要望を受ける江尻篤彦強化部長は、ほぼ全員から「練習場のピッチが硬く、身体の負担になっている」との声を聞いた。近年の故障者の多さは、それを裏付けるものである。
「練習の効率を上げ、質の高いトレーニングをするためにもグラウンド問題の改善は必要。中村(考昭)社長と話し合い、ゼビオさんの協力を受けて、来年は改善に着手する予定です。具体的には3つのプランが検討されており、そのなかから選択して動くことになるでしょう」(江尻強化部長)
2022年は、堀孝史監督のもとでチームをベースからつくり直すとともに、ハード面も再構築のシーズンとなる。
(検証ルポ『2021シーズン 緑の轍』終章 、了)