無料公開【Gマガ】〜ターニングポイント〜ザスパSB平尾壮 目標がリベンジに変わった日 「ガンバユースからオファー、こさしたるっていう思いで中学時代を過ごした」
無料公開【Gマガ】〜ターニングポイント〜ザスパSB平尾壮
「ガンバユースからオファー、こさしたるっていう思いで中学時代を過ごした」
ターニングポイント1
SB平尾壮
ガンバジュニアユース落選
目標がリベンジに変わった日
「めっちゃ悔しかった。マジかって思った」
今季、町田からザスパへ加入したSB平尾壮。G大阪ユースからトップ昇格し、福岡、町田を渡り歩いて、今年、ザスパへやってきた。
ガンバの青黒の血が流れる攻撃的プレーヤーで、プロ6年目の23歳。アグレッシブなプレースタイルが武器のユーティリティーアタッカーだ。
少年時代から陽の当たる場所でプレーしていた若武者だが、どんな思いでザスパに来たのか。ターニングポイントからプレーヤーの原点を探る。
「絶対にガンバジュニアユースを倒したる」
1996年生まれ。小学校時代は富田林常盤FCでプレー、ナショナルトレセンに選ばれるなど異彩を放っていたという。
「小学校のときはボランチでトレセンに選ばれていて、一番上(ナショナルトレセン)まで行っていました。あのときは自分が一番うまいと思っていて、対戦しても負ける気がしませんでした」
小学校6年生のとき指導者の紹介でG大阪ジュニアユースのセレクションに参加した。1・2次試験が免除され、最終選考からのエントリーだったそうだ。
「ガンバのジュニアユースに落ちました。そこが最初のターニングポイントだと思います。セレクションでも自分より、うまいやつはいないと思ったので、絶対に受かったと思っていました。それでも落ちたので、めっちゃ悔しかったんです。マジかって思いました」
ガンバジュニアユースへの道が絶たれたあと、地元クラブチーム川上FCへ入った。
「ガンバユースからオファー、こさしたるっていう思いでプレーしていました。川上FCでガンバジュニアユースを倒したるという気持ちで練習していました。もっとうまくなるしかないと思って、ひたすら練習していました」
中学時代は、将来の日本代表育成キャンプJFAエリートプログラムに選ばれるなど実績を残した。
「小学校のときの苦い思い出があったので天狗にもならず、ずっと練習しました。週1〜2回の練習では、チームのだれにも、先輩にも負けないっていう気持ちでやっていました。中学の3年間が一番うまくなったと思います。中学のときもポジションはボランチが多く、自陣のゴール前から相手のペナルティーエリアまで一人でドリブルして持っていっていました(笑)」
中学で急激に力を伸ばした平尾のもとには、ヴィッセル神戸、C大阪、そしてG大阪ユースの関西Jユースすべてから声がかかった。当初は、ユースを断って高校サッカーへ進もうと決めていた。
「自分の目標は、ガンバユースのオファーを断って他のチームへ行くことでした。親しい先輩が山梨学院高(ヤマガク)に進んで高校サッカーで優勝したので、自分もヤマガクに行きたいと思っていました。ヤマガクから声をかけてもらって『絶対にここでやりたいです』って伝えていたのですが、最後の最後でガンバスカウトの人たちが毎日、練習まで来てくれていて、育成プランやトップ昇格プランを提示してくれました。小学校のとき悔しい思いをしたので迷ったのですが、一番の目標は『プロになる』ことだったので最終的にガンバにお世話になることを決めました」
ガンバジュニアユース落選を糧にした平尾は、自らの力でガンバユースへの道を切り開いたのだった。
(つづく)
(2020.05.26)