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「ザ・ヨコハマ・エクスプレス」藤井雅彦責任編集:ヨコハマ・フットボール・マガジン

「残った人たちは、このエンブレムを守るために、頑張ってほしい」 ・・・魂を受け継ぐ者 [短期集中連載:ドキュメント 小林祐三 vo.4]

vol.3からのつづき

 

小林祐三が柏レイソルから横浜F・マリノスに移籍してきたのは2011年だった。その直前に大量の主力選手が契約非更新となり、クラブは自らの判断で岐路に立とうとしている時期だった。

あれから6年の月日が流れた。その間にリーグ戦で積み上げてきた試合は、実に『187』。1年平均30試合以上コンスタントに戦い、それ以前に出場していたJ1試合数と合わせて、ちょうど300試合に到達した。

来季、右サイドに金髪がトレードマークの背番号13はいない。横浜F・マリノスと小林祐三は別々の道を歩み始める。だが、その前に記しておきたいことが山ほどある。

 

 

 

去る者からのメッセージ

エンブレムを守る者は現れるのか

 

32試合、30試合、33試合、27試合、32試合。加入した2011年以降のリーグ戦出場試合数である。小林祐三は不動の右SBとしてポジションを譲らなかった。

「30歳を過ぎたけど、サッカーが上手くなっている実感がある」

 自信に満ち溢れた言葉とともに、今シーズンも試合出場を重ね、J1通算300試合出場に王手をかけた。直後の10月末日、クラブから残酷な現実を突きつけられる。

10月に入ってからはスポーティングダイレクターのアイザック・ドルと下交渉を行う機会があった。今季で複数年契約が終わり状況で、来季以降の雲行きが怪しいことを感じ取っていた。

契約非更新の通達を告げたのは、利重孝夫チーム統括本部長だった。小林はこのとき初めて利重本部長とコミュニケーションを取ったという。

「頭の中ではわかっていたけど『まさかオレが』という気持ちもあった。だから、ダメなのかなという準備は何の役にも立たない。悔しいでも、悲しいでもなく、虚しいという感じ」

 受け入れ難い決定だった。なんでオレが、なんでオレだけが。能力の衰えやパフォーマンスの低下を自覚できているなら心境は違うだろう。前述したように、自身の成長に手ごたえを感じていた。好パフォーマンスが試合結果と直結しないことがあっても、ポジティブに消化できていた。それなのに…。

11月3日、浦和レッズ戦。背番号13は普段通り右SBのポジションで90分間プレーした。契約非更新を告げられてからの数日はトレーニングに身が入らなかった。親しい人間に報告すれば、相手は怒りや憤りとともに大粒の涙を流したという。毎日がもらい泣きで「もう涙が枯れた」。心身ともに普通ではない状況で、ピッチに立つのは本当に難しい作業だった。

J1通算300試合出場という節目が、背中を後押ししたのかもしれない。この数字がなければ、契約非更新のリリースは最終節後にしていたはず。常に絶対評価と相対評価を理解できる頭脳明晰な人間だからこそ、サポーターの見方にも気を回した。

試合でのパフォーマンスは小林らしいものだった。当たり前のことを当たり前にこなす。自身にとって特別な一戦であっても、チームにとってはやや趣が異なる。だから色気を出すことはしない。不似合いな背伸びなど、まったく考えていなかった。それでも体は正直なもので、万全な準備ではなかったため「さすがに足をつってしまった」と苦笑いしたが、苦しむ素振りを見せず試合終了のホイッスルまでプレーするあたりが小林というプレーヤーの矜持だろう。

最終節4日後の11月7日、チームは新横浜公園内でファンサービスを行った。小林との別れを惜しむ人は多く、長蛇の列が。両手に持ち切れないほどのプレゼントを受け取った。悲しさに耐えきれず、涙を流すファンもいた。でも努めて明るく振る舞った。

 

 

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