「栃木フットボールマガジン」鈴木康浩

【あなたはなぜ栃木SCへ?】Vol.2 勤続17年の古株、営業部の小林直己さん「初年度はわけもわからず、洗濯も大変で(笑)」/フロントスタッフインタビュー(22.11.2)

〝縁の下の力持ち〟クラブフロントスタッフの皆さんを紹介する「あなたはなぜ栃木SCへ?」。第2回は、営業部の小林直己さんです。

(インタビュー・構成 稲葉美和/写真 栃木SC提供)

 

鹿沼市出身。国際武道大学卒業後に栃木SCに入社。38歳の現在まで〝中の人〟一筋だ。

 

「高校のときからスポーツやJリーグに関わる仕事がしたいと思っていました。あるクラブに問い合わせて『大学でスタッフをやっていればJリーグとつながりができるよ』と教えていただき、体育大学に進み、当時のサッカー部の監督から栃木SCを紹介していただきました」

 

大学のサッカー部には選手兼スタッフとして所属していたが、3年生の途中からスタッフに専任。栃木SCへの入社は2006年。当時、チームの所属カテゴリーはJFLで選手、スタッフ全員がアマチュアだった。就職活動もせず、入社できたのはよかったが…。

 

「最初は『これはJリーグの仕事じゃないな』と思っていて(笑)。でも地元で実家からも通えるし、まずはここで修業をしてステップアップしようと。それが社会人のスタートでした。資格も何も持っていなかったので、周りの皆さんのおかげで今があります。『つらいな』と思うときも、栃木SCに入れてもらったことを思い出して『勝手に辞められない!』と思い直しています。

うちにも優秀な人たちがたくさん入ってきているので、成長はちゃんとしないとダメですね。ここは『いたかったらいていい』という場所ではないので。長くやっている分、『あの時代にもう少しああできていればもっと先に進めたんじゃないか』という反省もあります」

 

今となっては勤続17年目の古株だ。主務を5年、運営部のホームタウン担当を5年、営業部を7年務めてきた。

 

「主務のときに1番やりたかったマネージャー業でJリーグを経験できたので、あのときは本当にうれしかった。(昇格1年目の2009年は)51試合あって後にも先にもない試合数をこなしました。初年度はわけもわからず、洗濯も大変で(笑)。ミスもたくさんありましたが、良い経験ができて楽しかったです」

 

主務のときは、選手から学んだことも多かった。

 

「他のクラブにいた方ばかりだったので、いろんなことを教わりましたね。最初はスクイズボトルに水道水を入れていたのですが、それを知った小針清允さんにびっくりされて(笑)。それからミネラルウォーターを買うように変更したり。チームがプロになったときは特に『選手の意見をきちんと聞かないといけない』と思って聞いていました。用意する食事やトレーナールームに準備する物とか。『お金を掛けずに変えられるところは変えていこう』ということが多かったですね」

 

反省点もある。

 

「今フロントに入って思うのは、現場のスタッフは良識ある人が多いですが、現場のためになることを最優先でやっていくので、もっとフロントのことを考えて、お金のことももう少し気を付けてやっていればよかったな、未熟だったなと」

 

 

ホームタウン担当の頃は「数字に表れない難しさ」を感じた。

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