【OB探訪】中美慶哉インタビュー 後編「トチエスのためにできることに携わりたい。僕はここが地元だし、トチエスのアカデミーのプロ第一期生だし、何かできたら」【インタビュー】(22.11.1)
【OB探訪】中美慶哉インタビュー 前編「最後に、練習試合でしたけど栃木SCのユニフォームも着られたので、それで気持ちのけじめはついたんです」
▼金沢、松本で活躍し、そしてJ1へ
――金沢での2年目は12ゴール・7アシスト。10番をつけていました。
「前年は最下位だったチームを残留させた功績を認めてもらい、10番をと」
――個人的に鳥栖に戻ってJ1でやる考えもあったのでは。
「夏に加入して以降、半年間で金沢の顔として受け入れられていたので、金沢でもう1年頑張って結果を出せば、また色々な選択肢が出てくると思っていたんです。それで実際に結果も出せた。42試合中41試合でスタメンで出られたし、自分のスタイルとしてヤンツーさん(金沢の柳下正明監督)が合っていた」
――ヤンツーさんは合っていた。
「自分がやりたいサッカーだったし、プラスの言葉ばっかり掛けてもらい、自由にやらせてくれたんです」
――サイドとFW。
「そうですね」
――その活躍があって、松本山雅へ。ここで反町康治監督との出会いがありました。
「反さんはまた出会ったことがない監督でした。山雅は反さんが作り上げた歴史があったわけですが、実際に入ってみると緻密さは感じましたね」
――緻密なんですね。
「やばいです。ミーティングでは相手の分析、ここを突く、この試合のCKの1本目はここを狙うとか、FKは最初はこれをやるとか」
――全部決まっているんですね。
「セットプレーの守りの堅さも徹底しているし。山雅に行って思ったのは、セットプレーの確認を試合前日にやるんですが、確認レベルではないんですよ。血を流すんです」
――血?
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