【無料記事】【フットボール・ブレス・ユー】第69回 芝生の匂いとともに(24.7.24)
第69回 芝生の匂いとともに
棺に入ったプーマのパラメヒコの横にそっと花を置いた。「あっちでもボールを蹴られるようにスパイクを」。市川雄太さんが言った。
6月30日、ヴェルディS.S.相模原の創設者であり、代表を務める土持功さんがこの世を去った。享年70歳。読売クラブでプレーしていた頃はペレに憧れ、ドリブルの技術をとことんまで追求していた人だったそうだ。「こだわりドリブラー」の異名は、ガキンチョの時分から付き合いのあったブリオベッカ浦安の都並敏史監督から聞いた。
ヴェルディS.S.相模原は三木隆司、河野広貴、南秀仁、山本理仁など多くのJリーガーを輩出。市川さんもまた土持門下生のひとりで、ユースチームの初代キャプテンを務めている。社会人となってから町田大蔵FCで子どもたちにサッカーを教え、藤田譲瑠チマの育成に携わった。
土持さんと市川さんの関係については、次の記事に詳しい。
【インタビュー】A Secret on the Pitch ピッチは知っている 〈6〉『サッカー選手が勝手に育っていく土壌』土持功(ヴェルディS.S.相模原代表)前・中・後編
【トピックス】特集『ルーツ探訪 藤田譲瑠チマの故郷 ~町田大蔵FC~ 』前・後編
葬儀が執り行われた日は、夏の太陽がギラギラ照りつける猛暑だった。「近頃は身体に無理が利かなくなって、選手と一緒にボールを蹴ってないね。技術を見せるデモンストレーションぐらいしかできなくなった。汗をかかないと、せっかくのビールが旨くねえんだ」。苦笑いする土持さんの顔が浮かんだ。
あけすけな性格の、おもろいサッカーおやじだった。僕は土持さんの話を聞くのが好きで、読売クラブ時代の逸話はどれもこれもワクワクさせられた。同時に、選手を育成する仕事の面白さと奥深さ、難しさ、怖さも知った。
最後に会ったときはコロナ禍だった。人と対面するのが憚られる時期だったが、「ま、いいじゃん。久しぶりだし、おいでなさいよ。ごはんでも食べようか」と言ってもらえた。
指導の現場においては、途轍もなく厳しい人だったはずだ。僕の場合はピッチの外のお客さん扱いだったから、優しくしてくれただけである。