【無料記事】【トピックス】特集『ルーツ探訪 藤田譲瑠チマの故郷 ~町田大蔵FC~ 』前編(20.11.27)
特集『ルーツ探訪 藤田譲瑠チマの故郷 ~町田大蔵FC~』前編
中盤の底でボールを刈り取り、なおかつゲームメイクやゴールに絡む決定的な仕事までできる。藤田譲瑠チマはルーキーの身ながら、いまや東京ヴェルディの屋台骨を支えるひとりに成長した。
プレーはもちろん、卓越したコーチングや陽性のキャラクターなど魅力は多岐にわたる。それらの能力、人間性はいかにして育まれたのか。源泉をたどり、ジュニア年代まで過ごした町田大蔵FCに足を運んだ。
■兄弟のようなチームメイトと切磋琢磨
四隅にカラーコーンを置き、パス&コントロールのトレーニング。ボールを止め、身体の向きを変え、蹴って走る。
「そんなふうに黙ってサッカーするの?」というコーチの指摘に促され、子どもたちからボールを呼ぶ声がだんだん出てくる。往年の藤田譲瑠チマも、この朱色の練習着でボールを蹴っていた。もっとも、彼の場合は言われるまでもなく、やかましいほど声を発していただろうが。
町田大蔵FC(以下、大蔵FC)は、町田市立大蔵小学校を拠点に活動するジュニアチームだ。創設は1981年。大蔵小を中心に、近隣からサッカー少年・少女が集まってきている。
大半の街クラブがそうであるように、大蔵FCもボランティアスタッフの指導によって支えられている。
コーチングスタッフに名を連ねる田村祐斗、刀祢平雄大、杉山歩、塩澤壯日は第32期生で、かつて藤田のチームメイトだった。
「ジョエルはガキ大将みたいな感じでしたね」
「いまからカナグラ(金井スポーツ広場)に集合な、と勝手に言って」
「みんなに回しといて! と丸投げ」
と、笑いながら口々に言う。LINEなどの便利なツールがなかった時代、少年たちの連絡網はより緊密だった。
彼らを指導した市川雄太コーチもまた、大蔵FCのOBである。
「ジョエルはチームメイトを兄弟のように感じていて、周りもそういう感覚で接していたように思います。彼らの代は遊ぶときもサッカーで、ゲームの話は聞いた記憶がない」
藤田は幼稚園の年長から、幼なじみの田村と一緒に通い始めた。
「巧い子が多い年代で、互いに切磋琢磨して成長していきましたね。そういっためぐり合わせに恵まれたところもあったでしょう。どうしても関係の濃い代と薄い代があり、ジョエルたちは特に結びつきが強かった」(市川)
学生生活を送る傍ら、こうして故郷のクラブに戻ってくるのは、グラウンドで濃密な時間を過ごした何よりの証である。