「ゼルビアTimes」郡司聡

林幸多郎/走る、戦う、思考の変化…。ベース構築の6年間と試行錯誤の4年間【ザ・ルーツ(前編)/インタビュー】

『ゼルビアTimes』の人気インタビューシリーズ『ザ・ルーツ 〜ボクたちの履歴書〜』に林幸多郎選手選手が登場。前・後編2回シリーズのインタビュー前編は、サッカーを始めた少年期からサガン鳥栖アカデミーで過ごした育成年代、そして明治大時代までを振り返ります。タフネスSBの誕生秘話をどうぞ。

町田加入以降、開幕全4試合フル出場。すっかり左SBの主軸だ

▼欲深い中心選手

幼少期の“林少年”は兄とサッカーをしたり、家でゲームをして遊んでいました。うちは3人兄弟で僕は二番目。上の兄とは1歳差、下の弟とは5歳離れています。頭の中に残っている一番古い記憶ですか? 保育園で節分の日に出てくる鬼が怖くて、保育園へ行くのを嫌がっていた記憶が残っています(笑)。

サッカーを始めたのは小学校3年生の時。兄がやっていたので、それでは僕も、とサッカーを始めました。最初に所属した嬉野FCでは、FWも最終ラインもいろいろなポジションをやりました。ただ個人的には点を取りたかったタイプだったため、前目のポジションをやりたがっていました。どこからでもドリブルをして点を取る選手で、チームはそんなに強くはなかったですが、チームの中心選手でした。

嬉野FCは兄の代のチームがサガン鳥栖のジュニアチームを破って全少(JFA 全日本U-12サッカー選手権大会)に出場しました。当時は鳥栖がダントツに強かったですから、周りの人たちはとても驚いていました。確かベスト8で鳥栖と対戦し、0-0からのPK戦で勝ち上がりました。

鳥栖U-15でプレーすることになったジュニアユース年代は、

(残り 2462文字/全文: 3125文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

日本サッカーの全てがここに。【新登場】タグマ!サッカーパック

会員の方は、ログインしてください。

1 2 3
« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ