【無料公開】東日本大震災から13年。あの日、皆さんは何をしていましたか。あらためてスポーツの力を想う今日。 Jリーグクラブ社長のリアル経営日記:Vol.23(2024.3.11)
【2024年3月4日朝:晴れ】
まだ寒い日が続く中でも「桜の開花予想日」なるニュースが届くようになり、春の訪れを感じることできます。すっかり桜が3月開花の花になり、かつての入学から卒業シーズンの象徴になりつつある事実に、地球温暖化を感じざる得ない状況です。しかしながら桜大好きなわれわれにとって、「開花日予想」というニュースを通じての春の訪れを素直に喜びたい季節でもあります。
さて水戸ホーリーホック。
先週はリーグ戦甲府戦に続き、ルヴァンカップYS横浜戦、そして昨日のリーグ第3節仙台戦といずれも1点差の敗戦。公式戦三連敗となってしまいました。
平日の夜、凍えるような寒さの三ツ沢で、そして昨日も午前中までは雪が舞う仙台で声を枯らし、手を叩き続けてくれたサポーターに結果で応えることができなかったことは本当に悔しいですし、申し訳ない気持ちの朝です。
しかしながらチームの練度、完成度の部分ではこの先に良い未来が必ず来るものと私は確信しています。チームの奮闘を信じて、私のできることを今週も精一杯するのみです。
今日は3月11日。
東日本大震災が発生した日です。
約1万5千人以上の方が亡くなり、今もなお3万人近い方が避難生活を余儀なくされています。
あの日、あの瞬間。
皆さんは何をしていましたか?
私は13年前、Jリーグのハイライト番組を制作する仕事をしていました。
あの日は金曜日、翌日のリーグ戦(開幕後の第2節でしたね)への情報収集に追われていました。地震が起きた14時46分はオフィスのあった東京恵比寿のコンビニで買い物中でした。飲料、お菓子などの商品が次から次へと棚から崩れ落ち、店員さんが「急いで外へ出てください!」と大きな声を出していたこと。
会社へ戻り、急いで実家のある茨城の両親に連絡を試みるも繋がらず(結果、丸2日間は安否確認が取れず)不安になったこと。
夕方には翌日以降のJリーグの開催が中止になり、仕事を止めたこと。
時間を追うごとに東北地方の映像はニュースに出てくるのですが、地元茨城の情報がほとんどなく(地方民放局がない唯一の県が茨城なのです)、数日間はとにかく不安に苛まれたこと。
とにかく地震発生から数日間のことは鮮明に覚えています。
東日本大震災以外に2011年はどんな年だったか。
ドル円相場の円高最高値は約75円でした。今の約半分ですね。
北朝鮮の金正日総書記の死去、アルカイダの指導者であるオサマ・ビンラディン氏が殺害された年でもあり、国内外が何か落ち着きのない時間を過ごしていたことも思い出します。
Jリーグも7週間、開催が止まりました。
スポーツだけなくエンタメ全般が「自粛ムード」になりましたね。
友人たちと会社を立ち上げたばかりの自分にとって、仕事がなくなる不安もあの時期はありました。
そんなときにパワーを与えてくれたこと。
それは6月から7月にかけてドイツで行われた女子サッカーのワールドカップ(W杯)で、の日本女子代表「なでしこジャパン」の優勝。サッカー世界大会で日本が優勝するのは男女を通じて初めてのことでした。
劇的な試合の連続に深夜に何度声を上げたことか。
感動、興奮、熱狂。
スポーツの持つ力をあらためて感じさせてくれた瞬間だったように思います。
9年後。
世界は新型コロナウイルスとの戦いが待っていました。
またもスポーツを始めとするエンタメが止まることを余儀なくされました。
いつだってスポーツやエンタメは社会情勢との“共存”を迫られます。
戦争が起きている地域にはスポーツやエンタメは基本的には存在しません。
東日本大震災から13年。
先週末もJリーグはリーグ戦30試合を無事に開催できました。
日々の生活を経て、当たり前のようにスタジアムへ人が集い、また日々の生活に戻っていく。そんな「スポーツのある日常」。あらためて偉大さを感じます。
毎週のように喜んで、悲しんで、悔しがって、声を上げて。
そんな「日常」に少しだけ興奮、感動、熱狂という“豊かさ”を与えることができているであろう、私の今の仕事には誇りも感じます。
続く復興。そして未来への防災、減災。
「日常」を維持するために今、自分たちができることはまだまだたくさんあるように感じています。あれから13年、今日に感謝して今日に慣れず、今日を生きていこうと思います。
2024年3月11日。
いつでも世界中が平穏な社会であることを願って。
小島 耕