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【無料記事】宇田光史朗、高知ユナイテッドSCへの育成型期限付き移籍を延長! 現地記者による特別コラム

 

1月4日、横浜FCは宇田光史朗の高知ユナイテッドSCへの期限付き移籍延長を発表した。

昨季高知でプレーした宇田は背番号15を背負い、JFLリーグ戦29試合に出場(先発26試合)して2得点。ボランチとして主力を担い、JFLを2位で終えてJ3の19位との入れ替え戦に進出。入れ替え戦でもホーム、アウェイともに先発し、2試合トータル3-1でYSCC横浜を下し、高知県のチームとして初のJリーグ入りに大きく貢献した。今季も引き続き、J3で高知のために戦うことになる。

ハマプレでは一昨年の天皇杯3回戦を戦った際にお世話になった高知新聞記者の横田宰成さんに、宇田光史朗の昨季1年を振り返るコラムを執筆していただいた。彼が初めての土佐の地でいかに素晴らしい時間を過ごし、いかに選手としても人間としても成長したか振り返ってみよう。

(写真と文/横田宰成/高知新聞)

 

▼運命の“高知”からのオファー

四国から“Jなし県”が消えた2024年12月7日は、永遠に語り継がれるだろう。高知県民にとって『ジョホールバルの歓喜』にも勝る歴史の一ページ。はるばる土佐の地へ武者修行に来た20歳のボランチも、この『三ツ沢の歓喜』の輪の中で肩を震わせていた。

高知ユナイテッドSC(高知U)は『Jなし県からの脱却』を掲げ、発足9年目を迎えていた。JFL初年度から年々順位を上げ、2023年は初の一桁順位となる7位でフィニッシュ。天皇杯でガンバ大阪、横浜FCのJ1勢を連破し、優勝した川崎フロンターレとも0-1の接戦でベスト16の結果を残す。単独で出た国体でも高知県勢が初優勝するなど、記憶に残るシーズンとなった。

ただそのオフ、引退、レンタルバックを含めて計12人が退団し、今季はリーグ最少の23人での船出(最終的には27人になったが、それもリーグ最少)。平均年齢も24歳と最も若く、下馬評は決して高かったとは言えない。

2024年1月。清流四万十川近くの黒潮町でキャンプを始めたチームに、横浜FCでプロ入りして2年目のMF宇田光史朗が育成型期限付き移籍でやって来た。関西の強豪、興国高校で主将を張った19歳もJ1では出場の機会を得られず、ルヴァンカップの2試合のみ。活躍の場を探す中で、横浜FCの強化部から期限付き移籍の話がもたらされる。

「まったく試合に絡めず、力になれなかった。もう1年頑張ろうと思っていたけど、『試合に出られる環境で成長してほしい』と勧めてくれました」

葛藤はなかったのか。

「試合以外では四国にも来たことがなかったんですが、移籍先が高知と聞いて迷いはありませんでしたね」

決め手は一昨年の天皇杯だった。敵地での2回戦でガンバ大阪を2-1で撃破したジャイアントキリングは、「ガンバに勝つなんてなかなかない。J1に臆することなく、堅守速攻のコンセプトも決まっていて組織的なチームだ」と、横浜FCのチーム内でも話題になっていたという。

その高知Uとぶつかる3回戦でベンチ入り。春野陸上競技場で0-1のジャイキリを目の当たりにし、「もちろん悔しかったんですけど、『JFLにこんなチームがあるのか』と驚いたのを憶えてます」。だから移籍話には「ここなら成長できる」と感じ、「開幕からチームを支える選手になる」と誓っていた。

 

▲必勝祈願で笑顔で写真に収まる宇田光史朗=後列、山本志穂美社長の左上(高知市内)

 

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