「スタンド・バイ・グリーン」海江田哲朗

【無料記事】【トピックス】特集『ルーツ探訪 阿野真拓を生んだヴェルディS.S.小山』前編(20.10.7)

練習場の全景。このほかタイプの異なる数ヵ所のグラウンドを使用している。

練習場の全景。このほかタイプの異なる数ヵ所のグラウンドを使用している。

左からヴェルディS.S.小山の遠藤省太コーチ、石田博之監督、中島耕平コーチ。

左からヴェルディS.S.小山の遠藤省太コーチ、石田浩之監督、中島耕平コーチ。

■メッシの時代に生まれて

阿野は小山での日々を振り返って、「あそこでは楽しくサッカーをやらせてもらえました。いつもグラウンドにいくのが楽しみだった記憶があります」と話している。

石田は言った。

「真拓は小4のスクールから。家は小山から電車で一駅離れたところにあり、週3回、ひとりで通っていましたね。取り立てて、自分たちが何かをしたという選手ではないんです。育てたなんて言葉はおこがましくて、とても言えませんよ」

大人に対して、積極的にコミュニケーションを取ってくるタイプではなかったという。

「こちらが話しかけると、最低限の受け答えはするといった感じです。ただ、サッカーを含めていろいろなことに関して、知りたがりではあったかなあ。僕のクルマを指差して、『このレクサスって外車ですか?』とか、『ランボルギーニっていくらするんですか?』と訊いてきたり。どこかで見聞きしたんでしょうね。興味を持ったことは無邪気に質問してくることがありました」

最初に石田の目を引いたのは、プレーのどの部分か。

「ドリブルとボールコントロール。ファーストタッチで思いどおりの場所にボールを置く技術を持っていました。少しは困らせてやろうと強いボールをわざと蹴っても、ラクに止めてしまう。ちょっとこれはモノが違うなと」

練習前や練習後、阿野はひまさえあれば小さな画面を見つめていた。そこに映っていたのはFCバルセロナのリオネル・メッシのプレーだ。

「ものごころがついた頃には、メッシの時代。真拓にとってはサッカーの歴史そのものであり、すべてだったんだと思います」

石田は当時を懐かしむように目を細めた。

 

後編は10月19日に掲載の予定です。

 

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