「スタンド・バイ・グリーン」海江田哲朗

【無料記事】【フットボール・ブレス・ユー】第10回 潜熱(2016/08/03)

よく通る声で選手たちに指示を出す。

よく通る声で選手たちに指示を出す。

7月25日、AC長野パルセイロとのトレーニングマッチがあった。最下位に沈むザスパクサツ群馬戦を1‐2で落とした翌日だ。

長野との1‐1の結果は取り立てて重要ではなかったが、低調なゲーム内容、アピールの意欲を感じさせる選手の少なさは気がかりだった。チームはギリギリの状況に追い込まれていると感じた。

現役時代の冨樫は、ベンチを温めることの多かった選手だ。出番を待つ選手の気持ちは手に取るようにわかるだろう。シーズン中に補強した二川孝広、イム・ユファンはすぐさま起用された。サブ以下の選手たちにとって、面白かろうはずがない。これをすんなり受け入れるようではプロの世界で生きる資格を失う。

その週の練習後、「監督が自分のことを見てくれているか。どうですかねえ。あまり感じないなあ」と北脇健慈が珍しくぼやいた。チームきっての熱血漢がしょぼくれては先が思いやられる。

「練習試合の出来がどうだろうと、ここから戦える選手を見つけ出さなければいけない」と語った冨樫は、北脇と平智広を熊本戦のスタメンに抜擢。見事、結果を出した。反発力が発揮されるタイミングを計ったような選手起用。これがチームに与える影響は大きい。固まりかけた序列の揺れ動きは、リーグ後半に向けて新たな浮力となる。

2014年9月、冨樫はトップの監督に就任し、じき丸2年を迎える。勝負の世界に身をやつす人だけが味わう愉悦を知り、辛酸をなめ、違った顔をのぞかせる頃合いかもしれない。

一方で、冨樫の一歩引いた立ち居振る舞いは、今後も変わることはないだろう。たとえば、チームカラーのマフラーを首に巻き、クラブへの愛着を周囲にわかりやすく示すような行動に興味が向かないと見える。

「移動のとき、スタッフが用意してくれた緑のマフラーを巻いたことはありますよ。ただね、首が苦しくなっちゃって。それにベンチではスーツではなくジャージだからマフラーは似合わないでしょ。僕は12歳からクラブに出入りし、息を吸うように自然と愛着を深めてきたんです。とてつもなく高いレベルにあり、それを言葉や身なりで表現するのは難しいね」

このへんは他人がどうこう言えることではない。

先だって、冨樫がJリーグデビューを振り返ったコメントに目を留めたSBG読者が、ご親切に当時の『サッカーマガジン』の記事を送ってくれた。そこには「遠征でグリーン車に初めて乗りましたよ」という冨樫らしいコメントが残されている。僕はその記事を見せ、監督になってからこんな待遇を受けたと喜んだことはあるのか訊いた。

「これは懐かしい。たぶん実家に残っていると思う。監督になってからの好待遇……。う~ん、ないですね。あ、そうだ。スポンサーのエムールさんからマットレスをいただきました。監督業は睡眠時間を削られるそうだから、これでどうぞゆっくり休んでくださいと。ありがたい話だよ」

いついかなるときでもスポンサーへの感謝、配慮は忘れない。わざとらしくない絶妙の塩梅で、さりげなくそっと差し出してくる。

世にあまたいる監督が露骨に発する自己顕示欲、成り上がってやろうとする野心。冨樫は自分の価値を高めることに関心がないのか、そのあたりの脂っこさがない。善し悪しなのだろうが、これも他人が意見できることではなかろう。

長年の付き合いで、冨樫の人となりを知る選手たちは心得たものだ。ゴールを決め、ベンチに向かって一目散に走り、監督の胸に飛び込むような真似はしない。

だが、まごうことなき歓喜の瞬間が訪れたときは、冨樫がどんなポリシーの持ち主だろうと関係ない。四方八方から寄ってたかって襲いかかり、盛大に押し倒してしまえと僕は思う。冨樫監督は受け身を取る準備くらいはしておいたほうがいい。

 

※連載コラム【フットボール・ブレス・ユー】は、隔週水曜日に更新する予定ですが、場合によって日にちが前後することがあります。

たまに、こういうカメラ目線はある。

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