「(F・マリノスは) 大好きです。このクラブの顔になりたいです。そのために先輩から盗めるものはすべて盗んで、ピッチに立ちたい。そして優勝させたい」 [諏訪間幸成インタビュー]
【諏訪間幸成選手インタビュー】
実施日:3月19日(水)
インタビュー・文:藤井 雅彦
東京ヴェルディ戦でプロ初先発を飾った諏訪間幸成の独占インタビューを公開する。
彼が真っ先に口にしたのは、筑波大学への感謝だった。
最高の環境で、真摯な姿勢でサッカーに取り組んだからこそ、新たなステップへ進んだ今がある。
1年前倒しでのプロ契約は、サクセスストーリーの始まりに過ぎない。
恵まれた体躯と、父親譲りの闘争本能を武器に、最終ラインで存在感を発揮する。
新進気鋭の21歳が、新たな挑戦をスタートさせた。
(筑波大学は)みんなが献身性や犠牲心を持っている最高のチームです。不甲斐ないプレーはできませんでした
――3月6日にプロ契約締結が発表されました。プロサッカー選手としての一歩目を踏み出した今の心境を聞かせてください。
「実のところ、良い意味であまり変わっていません。筑波大学蹴球部に所属している時から見られ方や応援されるための立ち居振る舞いは意識していたつもりです。
筑波大学はファンが練習見学をするような環境でしたし、試合になればさらに多くの方が足を運んでくれる。必然的に挨拶など礼儀もしっかりしなければならないですし、ファン対応の部分も意識していました。それが当たり前に染みついているので、劇的に変わったことはありません」
――大学サッカーで多くのことを学んだわけですね?
「ユースまでは大人が試合をする環境を作ってくれて、自分たちは試合をするだけでよかった。でも大学サッカーは自分たちですべてを作ります。公式戦では異なるカテゴリーに属している部員が環境を整えてくれる。感謝の気持ちを常に持ち続けて、伝えてもいましたし、責任の伴ったプレーを見せなければならない。不甲斐ないプレーはできませんでした」
――諏訪間選手は1年次から関東大学サッカーリーグ1部の試合に出場していたと思います。すると同学年の友だちや先輩が試合環境を作ってくれていた?
「そういった場面もありました。チームメイトは自費でも遠い場所まで足を運んで応援してくれました。試合メンバーに入れなかった選手やこのユニフォームを着たいと思っていた仲間が、自分の感情を抜きにして、声を枯らして応援してくれる。当たり前にできることではありません。みんなが献身性や犠牲心を持っている最高のチームです」
――これから社会人としてお金を稼いでいく意識はいかがでしょうか。
「まだお給料を一度ももらっていないので、あまり実感が湧いていないのが正直なところです(笑)。アルバイトをした経験もないので、不思議な感覚です」
――お金の使い道を考えていますか?
「ご飯を食べることが好きなので、誰かを誘って焼肉をたくさん食べようかなと思います(笑)」
――今後はプロとして高みを見据えながら、同時に大学卒業を目指すことになりますね。
「単位はほとんど取得できているので、あとは教育実習と卒業論文です。教員免許を取得することが筑波大学への進学を選んだ理由のひとつでもありますし、両親もそこだけは譲れないという考えでした。そのことをクラブにもしっかりと伝えて、理解して認めてもらい、正式に契約する運びとなりました。責任を持って取り組んでいきたいです」
僕にとっては誰よりもカッコいいお父さんです。プロレスラーの時は迫力があるんですが、家にいるときは普通のやさしいお父さん
――諏訪間選手は幼少期にレスリングを習っていたと耳にしました。
「小学生になる前の5歳か6歳くらいのことです。お父さんがもともとレスリングをやっていたので、自分も習っていました。年上と戦って勝てなくて、ラスト10秒くらいになると泣いてしまっていたような記憶があります。父親には『泣くな!!』と強く言われて、あまり良い記憶ではないですね(笑)」
――プロレスラーである父親はどのような存在ですか?
「小さな頃は時間があればお父さんの応援に行っていました。リング上で輝いている父という記憶で、僕にとっては誰よりもカッコいいお父さんです。プロレスラーの時は迫力があるんですが、家にいるときは普通のやさしいお父さん。スイッチがオンの時とオフの時ではまったく違います」
――では、レスリングを離れてサッカーを始めたきっかけは?
「親から聞いた話では、レスリングをやっている時からサッカーをやりたいと言っていたみたいです。それで小学生になるタイミングで地元のサッカークラブに入りました。2010年の南アフリカW杯を見ていた記憶があって、憧れていました」
――始めた当初から上手だった?
「いえいえ、特に目立つような存在ではなかったと思います。体は大きかったけれど、技術は周りの人たちのほうが上でした。得意ではなかったリフティングを1人で練習していた記憶があります」
――それでもF・マリノスのジュニアユースに所属していたわけですから、才能に恵まれていたのでしょう。
「小学校5年生で藤沢市トレセンのセレクションを受けて合格して、6年生になる直前のタイミングでF・マリノスのスペシャルクラスを従兄弟と一緒に受けました。気軽な気持ちで臨みましたが、合格したことで人生が変わりました。そこから内部セレクションでジュニアユースに進むことになって、いろいろなことが動き始めたと思います」
――山根陸選手とは当時からチームメイトですね。
「陸はプライマリーに所属していて、僕がスペシャルクラスに所属していた時に初めて一緒にプレーする機会がありました。昔からエグいくらい上手かった(笑)。ジュニアユース(中学1年生)になって、陸はすぐ3年生のチームに抜てきされていました。2年生の時はもう10番を背負っていましたね。同学年で1人だけレベルが違いました。常に自分たちの代の先頭を走っている選手で、ものすごく刺激を与えてくれる同期です」
このクラブの顔になりたい。そして優勝させたい
(残り 1313文字/全文: 4136文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
タグマ!アカウントでログイン
tags: 諏訪間幸成
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ