J1第7節全試合振り返りLIVE(J論)【3/31(月)22時】

HAMABLUE PRESS

【無料記事】高知・吉本岳史監督「三ッ沢は最高ですね。一体感のある三ツ沢で記念の試合ができて幸せです」……J3・JFL入れ替え第2戦 試合後コメント

 

J3・YSCC横浜とJFL・高知ユナイテッドSCとの入れ替え戦は、12月1日にPikaraスタジアムで行われた第1戦は1-1の引き分け。7日にニッパツ三ツ沢球技場で行われた第2戦で高知が2-0で勝利し、初のJ3昇格を果たしました。

ハマプレはこの試合の取材を予定していましたが、主宰の体調不良により断念。現地に取材に行っていた記者の方にお願いして、現役時代に横浜FCでプレーし引退後はジュニアユースでコーチを務めた経験もある吉本岳史監督と、横浜FCから育成型期限付き移籍中の宇田光史朗のコメントを紹介します。また宇田光史朗に関しては、地元紙の方に彼のこの1年を振り返る特別コラムを書いていただく予定ですのでお楽しみに。

(取材/佐藤亮太)

 

■高知吉本 岳史監督

「たくさんの方に支えられて、高知県初のJリーグチームが誕生しました。その(喜びの)気持ちでいっぱいです。今シーズン、いろんな出来事がありながら、思いをつないで、最終的に大きな思いで終わることができ、非常に良かったと思います。YS横浜さんも我々の研究をしてきて難しい試合になりましたが、我々が昇格したことで悲しい思いをなさる(YS横浜の)サポーターの方もいらっしゃると思います。その気持ちをしっかり受け止めて、来シーズン戦っていきたいです」

 

──JFLリーグの後半、勝てない時期がありましたが、きょうの試合は先制して守り切って勝つことができました。選手の戦いぶりはいかがでしょうか。

「シーズン途中までは優位に進められてはいましたが、終盤になると緊張感などでなかなか一歩が出ませんでした。ただこの2試合(J3JFL入れ替え戦)でたくましくなりました」

 

──J3参入を告げる終了のホイッスルが鳴った瞬間の心境は?

「しびれる試合をモノにしたなという部分と、これまで苦しい思いをした選手、そしてサポーターに良い報告ができるなと。みんなが泣くので、僕は泣きませんでしたが」

 

──選手たちにはどんな声をかけましたか。

「やったな~という部分と、ありがとうという部分で感謝を伝えました」

 

──監督にとって、高知ユナイテッドはどんな存在ですか

「高知県初のJリーグチームということで、一番初めに歴史に名を刻めたこととともに、選手がいて僕の仕事は成り立ちますし、選手に支えられての1年でした。最強ではないですが、最終的に最高のチームになったなと思います」

 

──サポーターやここまでの道のりを支えた方々に一言お願いします。

「今シーズン、難しい状況から徐々に徐々に観客数が増え、応援してくれる方が増えました。だからこそ、もっともっと感動を、ワクワクドキドキを届けられるチームを作って、高知らしい、高知ユナイテッドらしいチームを作りたいです。まだまだ我々は成長しなければならないチームなので、もっとたくさんの方に応援してほしいです」

 

──現役時代にピッチに立った、ここ三ツ沢で監督として戦ったことについては?

「入れ替え戦が決まって、三ツ沢で試合ができることが分かった瞬間、ワクワクな気持ちしかありませんでした。この1週間、僕が一番、ワクワクドキドキしていました。練習でも楽しかったですね。アウェイでの戦いになるということで、選手にはYS横浜さんのサポーターの雰囲気に飲まれるのではないかという話しをしましたが、『最高のピッチだから逆に楽しまなきゃ損だよね』と伝えました。こういう機会はなかなかないので、自分たちのストロングをどれだけ引き出せるかを考え、ピッチに送り出しました。その結果、選手は躍動してくれました。三ッ沢は最高ですね。観客とピッチの距離が近く、我々の言っている言葉も伝えられます。そうした一体感のあるここ三ツ沢で、記念の試合ができて幸せです」

 

──高知に凱旋して、まず何がやりたいですか?

「カツオが食べたいです(笑)。いまのは冗談ですが。ホントに今年1年間、さまざまなものを巡らせて、時に頭を使いながら、時に選手に厳しいことを伝えましたし普段と違うトレーニングをしました。いまはしっかり休んで、次に向けて準備したいのが率直な気持ちです。まずはしっかり休みたいです」

 

──シーズンが始まる前、吉本監督は「(サッカーが盛んではない)高知からJリーガーになることは非常に難しい。そのためにもJリーグに行きたいんだ」と話されていました。今回の参入でサッカーをする子供たちにつなげると思いますが。

「まだまだ高知は野球文化と言われています。そうした文化を変えていく、新しく大きな歴史になったと思います。ただ、ここまでにはさまざまな方に支えられて、高知ユナイテッドが生まれました。だからこそ、そうした方たちの思いを紡いでいく高知ユナイテッドにしていかなければなりません。(この思いを)どれだけ選手が伝えていくか、我々がピッチでハッスルして、サッカーで文化を作っていきたい、その思いでやってきました。子供たちに夢を与えられるいい機会になったと思います。Jリーグチームとして恥じないチーム、人間力をつけなくていけないと感じました。

 

──上下ベージュの恰好で指揮をしていましたが? (※注:2023年6月7日天皇杯2回戦でガンバ大阪に勝利した際、で、この上下ベージュの恰好で指揮をしていた)

 

「頑張って着ました。SNSで『監督のスーツがゴールドに見える』と書かれてありました。僕のラッキーカラーはゴールドなので、逆にベージュがゴールドに見えることはすてきだなと。ゲン担ぎではないですが、着ました。ガンバ戦と一緒のスーツです。SNSでは『裸っぽく見える』と書かれましたが、裸一貫と言いますか、見せられるサッカーを思い切って見せられました」

 

──シーズン終盤に4連敗しました(22節から25節まで)その間の心境は?

「若いチームなので苦しかったと思います。失敗を成功にした選手たちを称えたいですし、サッカー人生はまだまだ続くのでこの機会を自分なりに反省してもらって、良いサッカー選手になってほしいと伝えました。あの4連敗は苦しかったですが、あの4連敗があったからこそ、(入れ替え戦の)苦しい試合をモノにできたと思います」

 

──監督がおっしゃったように「大きな炎」になりました。(参照:「大きな炎となって帰りたい」Jリーグ昇格へあと1勝!高知ユナイテッドSC 決戦の地へ出発(テレビ高知) – Yahoo!ニュース

「大きすぎる炎となりました。この炎を絶やさないように高知県でもっと盛り上げたいですし、今シーズン、社長が代わって、ゼロからのスタートでした。ゼロからイチを作れたことは、支えてもらったたくさんのスタッフのおかげです」

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