「ザ・ヨコハマ・エクスプレス」藤井雅彦責任編集:ヨコハマ・フットボール・マガジン

【復活秘話】天野貴史がピッチにいる(藤井雅彦) [連載企画:Players column vol.1]

 

 

天野貴史がピッチにいる。163cmの小兵が元気に芝生の上を走っている。練習前後、そして練習中もこれまでどおり中澤佑二や中村俊輔といった重鎮たちにイジられ、周囲の笑いの種になる。これが天野の日常、いや横浜F・マリノスの日常だ。

昨年はこの日常がほとんど見られず、非日常の時間が長かった。左ひざ前十字じん帯損傷で全治約8ヵ月の大けがに見舞われたのは開幕直後の2012年3月15日のこと。長期離脱を余儀なくされ、結果的にシーズンのほとんどをリハビリに費やした。

選手やスタッフ以外で天野の負傷シーンを目撃した人間はいない。負傷した日の練習は1年にたった一度だけ行われた非公開練習で、場所はマリノスタウンではなく日産スタジアムだった。その日、ホーム開幕戦に備えたマリノスは2日後に迫った仙台戦に向けて最終調整として紅白戦を行った。天野は控え組の右SBの位置にいた。

ある瞬間、左ひざを大きな衝撃が襲った。誰かと接触したわけではない。相手ボールに対してアプローチに走ったとき、日頃と少し違うピッチの感触にフィットできないまま芝生に足をとられた。「これはダメだな、と。これまで感じたことのない衝撃だったし、聞いていた話にも似ていたから」。負傷直後、天野はこのように語っている。少しひねっただけのインパクトではなかった。自力で立つことすらできなかった。

翌日から長いリハビリと、悪い妄想との戦いの日々が始まった。受傷直後は患部が腫れているためメスを入れることができない。固定したままではあるが、歩くことはどうにかできる。大けがを認識したのは手術後の話だ。当たり前にできていたことが何もできない。ゴールやアシストといった類ではない。歩くこと、座ること、お風呂に入ること、階段を上ること。日常生活に支障をきたす負傷を経験したことがなかった。

手術直後は後ろ向きなメンタルになったが、持ち前の明るさで前を向いた。トレーナー陣とともに懸命にリハビリを行い、数ヵ月するとグラウンドに出られるまで回復した。まずは歩くこと。次に軽いジョギング。そして負荷の小さなボールトレーニング。でもすべてが順風満帆ではなかった。

「最初、グラウンドに出られたときは本当に嬉しかった。もう少しで復帰できる

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