「ザ・ヨコハマ・エクスプレス」藤井雅彦責任編集:ヨコハマ・フットボール・マガジン

【移籍の真相】 水沼宏太の「成果報酬」 (藤井雅彦)

 

水沼宏太の「成果報酬」

あらためてリリースされるのが不思議なほど、水沼宏太がマリノスでプレーしなくなってから時間が経っている。しかし、どのクラブへ期限付き移籍していても、彼にはトリコロールの血が流れており、間違いなくマリノスが保有する選手であった。それが今回、ジュニアユースから数えて11年を過ごしたマリノスを本当に離れる。現在22歳の水沼にとって11年という月日は人生の半分である。

初めて横浜を離れたのは今から2年半前のこと。出場機会を求めてJ2の栃木SCへの期限付き移籍を決めた。すると思惑通り試合に出場し、水沼は順調に成長していった。松田浩監督によってゾーンディフェンスの基礎を徹底的に叩き込まれ、チームや組織として守ることを覚えた。翌2011シーズンも継続してレンタルプレーヤーとして栃木SCに籍を置き、年間37試合に出場。地位を確立したこの1年半で水沼は大人のプレーヤーへと成長した。「守ることの楽しさを感じた」と頻繁に口にするようになったのもこの頃である。

そのオフには海外挑戦も視野に入れ、欧州での練習参加を行った。ルーマニアという異国の地での経験は新鮮で、水沼に新たな息吹を吹き込んだ。社交的で明るく、人見知りしない性格は海外向きかもしれない。最終的にはJ1に昇格を果たしたサガン鳥栖でプレーすることになったが、いまでも彼は海外挑戦を視野に入れている。

ハードワークを厭わないプレースタイルは鳥栖でも重宝された。マリノス戦ではJ1初得点を決め、鳥栖に昇格後の初勝利をもたらすことに。マリノスサポーターは屈辱とともに一生忘れない出来事として脳裏に刻んだことだろう。その後もスタメン出場を重ね続け、リーグ戦33試合に出場して5得点を挙げた。さらに得点ランキング2位の豊田陽平というターゲットがいたことでアシスト役としても貢献。躍進した鳥栖に欠かせない存在となった。

こうして振り返ると、水沼がプレーヤーとして成長したのはマリノスを離れてからであり、実戦経験の重要さを物語っている。若い選手は成功と失敗を繰り返し、それを血肉に変えていく。仮にマリノスにそのまま在籍していても、この2年半でこれほどの出場機会を得られたかどうか。おそらくは難しかったであろう。2010年の夏の日の決断は間違いなく大英断だった。

ただし、こうして成長しているのが明らかにもかかわらず、変わらなかった事実がある。それがマリノスサイドの水沼への評価だ。栃木SCに期限付き移籍後、いずれのタイミングでも戻そうというアクションを起こしていない。百歩譲ってJ2での結果は査定に含まないという考えはわからなくもない。実際、愛媛SCであれだけ活躍した齋藤学もマリノスに帰ってきた際はほとんど年俸が変わらなかった。だが、水沼はそうではない。所属元クラブと同じJ1リーグでシーズンを通して稼働し、目に見える数字を残した。前述したようにマリノスはそれを敵対関係で体感した経緯もある。それなのに、水沼への評価はこのオフでも変わらなかった。個人的に首を傾げざるをえないが、これは価値観の相違としか言いようがない。

こうして2012シーズンが終わり、契約が切れる水沼にマリノスが告げた契約内容は、年俸は現状維持の単年契約。活躍を評価していない等しい内容で、関係者によればマリノスは水沼との

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