「ザ・ヨコハマ・エクスプレス」藤井雅彦責任編集:ヨコハマ・フットボール・マガジン

横浜F・マリノスにはクラブとしてずっとつないできた伝統や歴史があります。それをつなぐのが今いる人間の使命 [富澤清太郎インタビュー]

トリコロールを纏った男たち

【富澤清太郎インタビュー】

インタビュー・文:藤井 雅彦

 

富澤清太郎がマリノスに帰ってきて、もうすぐ1年が経つ。

2022年はサッカースクールのコーチとして指導にあたり、そして2023年は『チーム統括部強化』の肩書きで裏方としてトップチームを支えていく。

セカンドキャリア1年目を終えようとしている今、日吉のヒーローは何を考え、次への一歩を踏み出そうとしているのか。

ヨコハマ・エクスプレスがその胸中に迫った。

 

 

何かを始めるときはすべて1からスタートするじゃないですか。それがサッカースクール生への指導だったんです

 

――現役を引退し、2022年2月からの1年間は横浜F・マリノスのサッカースクールコーチとしてクラブに携わってきました。まずは経緯や描いていたビジョンを聞かせてください。

「まず僕自身、器用なタイプではありません。むしろ不器用な人間だと思います(笑)。現役引退を決めて、いくつかの選択肢がありました。でも、まだ少し時間の猶予がある状況だと、そこに甘えてしまって本当にやりたいことが見えませんでした。だんだんと時間が過ぎていく中で、冷静になる自分がいました。僕はサッカーしかやってきませんでしたが、幸運にも2001年から21年間もプロサッカー選手でいられた。この経験を直接伝えたいという考えが自然と芽生えてきたんです」

 

――それが指導者という形だったわけですね?

「はい。総合的に考えて浮かんだ形が指導の現場でした。同じサッカーでもプレーヤーと指導者ではまったく違って、簡単ではないことは理解しているつもりです。でも自分はネガティブな意味ではなく、その道に進むと決めていました。そこから具体的に、でも冷静に客観的に考えて、何かを始めるときはすべて1からスタートするじゃないですか。サッカーにおいては楽しむことであり、具体的にはボールを止める・蹴るの部分です。自分もボールに触れ合って、楽しくなって、それで上達していったことを鮮明に覚えています。だからサッカー事業における根っこの部分でもあるスクールに携わりたかったんです」

 

―-つまり大前提としてスクール部門を希望されていたのですね?

「そのとおりです。僕も人間なので、例えばトップチームに関わることも想像しました。でも冷静に考えていくと、繰り返しになるければ何事も1からやらなければいけないという思いのほうが強かった。自分の中から湧いて出てくる欲を抑えて、サッカーのピラミッドがあるとしたら一番下の部分から地道にやらなければいけないなと。その気持ちが芽生えていたところで、横浜F・マリノスとタイミングが合ったんです」

 

 

 

――スクールにはさまざまな子どもがいたと思います。指導対象はどんなコたちでしたか?

「僕が教えていたところだと一番下は幼稚園の年中さん、そこから小学校6年生までの男女がいました。あくまでも体を動かす一環で通われているコがいれば、仲が良い友だちがいるから自分も通ってみるというケースもあります。それからお兄ちゃんやお姉ちゃんが通っているからやってみようという場合もありますよね。あるいは自チームの活動ありきで、平日のトレーニング機会を増やしたいというスクール生もいました。幅広くいろいろな目的の子どもたちに指導していました」

 

――スクールの場合、サッカーのレベルアップも大切ですが、それ以上に和気あいあいと楽しむことに主眼を置くイメージです。

「楽しむことは軸です。ただ、サッカーというスポーツに熱中していくことで上達する部分もあるので、その環境や雰囲気を作ることが大切な仕事だと思っていました。彼ら、彼女たちは僕の現役時代をあまり知らない年代なので、それも自分にとっては1からのスタートです。僕が用意したメニューが伝わりにくいものだと、それが雰囲気として表れて練習全体のトーンが下がります。それをダイレクトに感じることができたのはものすごく大きな勉強でした」

 

――『何事も1から』という発想がカンペーさんらしい。

「そうかもしれないね(笑)。逃げる、逃げないの話ではないんだけど、そこはやっぱり逃げちゃダメなんだよ」

 

――1年間スクールコーチを務めた感想や手ごたえはいかがですか?

「指導は引き続き自分の中で大きな割合を占める部分になっていくと思うので、そのきっかけをいただいた1年でした。すごく勉強になりましたし、携わっているスクールコーチたちの熱意やレベルも感じました。そこでセカンドキャリアをスタートできて良かったと強く思えて、それが自信になりました」

 

――このタイミングで一度異なる立場に転身するわけですが、描いているビジョンがあれば聞かせてください。

「30代半ばを過ぎたあたりから引退後について考える機会は増えました。でもね、実際にはそうやって先のことを考えながら行動するのは自分らしくないんですよ(笑)。だからとにかく目の前にある毎日を頑張ろうと。そうやってつないできたサッカー人生だったので、それはこれからもあまり変わらないと思います。決めつけて行動するというのは自分らしくないので、いま置かれている状況と立場の中で何ができるかを大切にしたい」

 

 

 

――良い意味でフラットな立ち位置、目線を大切にしているわけですね。

「今いる場所、これまでいた場所があって、それぞれがいろいろな方のおかげで成り立っています。『ああなりたい、こうなりたい』はいろいろ言えるけど、とにかく毎日頑張るしかないなって(笑)。その中で自分の経験をクラブに還元していきたいという思いがありますし、そうすることで自然と道ができていくと信じています」

 

 

横浜F・マリノスは常に前へ進んでいるんです。その歴史に自分がほんの少しでも関われたのは光栄なこと

 

―-今後のお仕事内容は最後のセクションでお話していただくとして、ここでは少し昔話を。カンペーさんは東京ヴェルディのアカデミー出身です。横浜F・マリノスとは前身時代からライバル関係にあるわけですが、幼少期はトリコロールをどのように見ていたのですか?

「僕が小学校3~4年生くらいの時に、新子安にプライマリーができました。子どもなりにサッカーが上手くなりたいという思いがある中で、横浜出身なので彼らと対戦する機会もありました。プロを目指している彼らから自分とは違う世界を感じたのを覚えています。すごく刺激を受けましたし、自分がプロを目指す上でマリノスはきっかけになる存在でした」

 

 

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