「ザ・ヨコハマ・エクスプレス」藤井雅彦責任編集:ヨコハマ・フットボール・マガジン

「どんな状況でも声を枯らしてくれる(マリノスサポーターの)姿に愛情を感じていました。オレ、愛されているなって(笑)。代表遠征でも僕の横断幕を用意してくれていました。とても勇気づけられました」 [遠藤渓太独占インタビュー](無料)

 ドイツ1部のウニオン・ベルリンへの期限付き移籍が決定した遠藤渓太がインタビューに応じてくれた。

 今だから明かせる秘話盛りだくさんの内容は必見。懐かしい気持ちに浸りつつ、今後の成長に期待して読んでいただきたい。

 なおこのインタビューは「多くの人に僕の思いを知ってもらいたい」という本人の強い希望もあり、全文を無料公開する。

 マリノスを愛する者たちへ贈る、渓太のラストメッセージだ。

 

 

僕にとって海外移籍は「夢」という位置付けではありません。

同世代で最初に世界へ飛び出したのは(堂安)律でした。彼は1819歳の頃から海外移籍の願望を口にしていて、U-20ワールドカップが終わってオランダへ戦いの場を移し、その後もステップアップしていきました。律に続いたのが板倉(滉)や安部(裕葵)、三好(好児)くんや(前田)大然です。

日本にいてJリーグでプレーしていても上のレベルを目指せると思っています。でも海外移籍した選手と代表活動で一緒にサッカーをすると、球際の強さや勝利への執着心が変わったと感じることは多かった。海を渡らなければ味わえない経験をしたい。いつしかそんな思いに駆られた自分がいました。流行りに乗ってなんとなく行くというつもりはまったくありません。

正直に言うと、不安しかありません。人生初の移籍で、それが海外移籍。活躍できればいいけど、活躍しなければあっという間に忘れられてしまう世界。底辺からのスタートだけど結果を残して、僕がガッツポーズしている映像を日本に届けたい。

 

 

移籍することに対して、悩みや迷いはありませんでした。去年の冬にも欧州のクラブから打診を受けたけど、その時はものすごく悩んだ末にマリノスに残って頑張ろうと決めました。チームとしては優勝という最高の結果だったけど、僕自身は絶対的な存在になれなかった。だから今度こそしっかりと自分の価値を示して、その上で正式にオファーをもらえたら海外に飛び出そうと心の中で決めていました。

先輩や近い存在に移籍の話をした時も、相談というよりも報告に近かったかな。喜田くんに話したら「そうか。まずは目の前の試合を頑張ろう」と言われました(笑)。キャプテンらしい一言のおかげで、チームを離れるまではマリノスの一員として戦い抜くことができました。

 

 

先日の札幌戦は悔しい交代になってしまったけど、日産スタジアムでプレーする最後の試合となった横浜FC戦は自分もゴールを決めて勝利に貢献できました。移籍することが決定的になっていたから、ウォーミングアップも選手入場の時も、もちろんプレー中もすべて感慨深かった。ファン・サポーターの方々に自分の口で直接伝えることができず、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

その試合でゴールできたのは、やっぱり「もっている男」なのかな?(笑)。その前の鹿島戦でパフォーマンスが悪かったことは自覚していました。内心は「いつ移籍が決まるのかな」という思いもあったし、フワフワしているつもりはなくても試合に入り込めていない自分がいた。だから横浜FC戦でゴールできたからといって『すべて良し』というわけではないし、移籍はあくまでも自分個人の都合の話。もっと毎試合チームの勝利に貢献できる選手にならないといけない。

 

 

僕は小学校2年生からマリノスのスクールに通い始めて、15年半をトリコロールの一員として過ごしてきました。小さな頃から日産スタジアムでマリノスの試合を観戦して、プロになってからはその舞台でプレーできることが本当に幸せでした。

プロ1年目からリーグ戦に22試合も出場できた。2年目は少し苦しんだけど、念願のプロ初ゴールを決められた。3年目からは背番号11を背負わせてもらって、ニューヒーロー賞を受賞できた。4年目はチームとして優勝という貴重な経験をさせてもらった。

 

 

そして今年が5年目です。こうして振り返ると幸せすぎるプロ生活4年半で、僕は本当に運が良かったと思います。FC東京戦でJ1通算100試合出場を達成したけど、なぜここまでたくさんの試合に出場できたのか、自分でもよく分からないんです。

今だから話せることだけど、プロ12年目は練習に行きたくないと思った日もありました。自分はたいしたプレーもしていないのに試合に出させてもらっていて、それが逆にしんどく感じてしまったんです。プロサッカー選手なのに自信を持てなかったし、かといって悔しい気持ちを晴らすようなプレーもできなかった。先輩やチームメイトからどんなふうに思われているか気になって申し訳なかったし、辛かった。

 

 

でも去年あたりは吹っ切れたというか、必要以上に抱え込まなくなって、少々のことではヘコまなくなりました。苦しい時間でも逃げずに何とか頑張れたことで成長できたのかもしれない。だから、ずっと応援してくれていたファン・サポーターには感謝の気持ちしかありません。

僕はプロ入りしてから、ずっと末っ子のような立ち位置でここまで来た感覚があります。もちろん後輩の選手もいたけど、試合に絡み続けるという意味では自分が一番年下の場面が多かった。だから皆さんに溺愛してもらっていたのかなって(笑)。末っ子なのに在籍年数では上のほうで、本当に居心地が良かったです。

 

 

ドイツに行ったらゼロからのスタートになります。ユースからトップチームに昇格した時とは違って、自分のことを誰も知らないところから始まります。サッカーで試練が訪れるかもしれないし、言葉や食事といった日常生活で壁にぶち当たるかもしれない。そのすべてを自分の力で乗り越えなければいけません。

ちなみに僕は自炊能力が低いし、ドイツ語もほとんど無知。知っている単語は「ダンケシェン(ありがとう)」くらい(笑)。ソーセージは好きだけど、ビールは飲めないし、これから食事も文化も勉強しないと。海外移籍に何を持って行くべきかを(天野)純くんに聞いたら「変圧器と炊飯器とグミ」と教えてくれました。参考にします(笑)。

 

 

最後に、ファン・サポーターの皆さんにあらためて感謝を伝えたいです。

長い間ずっと応援してもらって、どんな状況でも声を枯らしてくれる姿に愛情を感じていました。オレ、愛されているなって(笑)。代表遠征で日本から遠く離れた地域に行っても、マリノスサポーターは僕の横断幕を用意してくれていました。代表チームにはいろいろな所属クラブの選手がいるけれど、どこのチームのサポーターも来てくれるわけではない。僕の場合、足を運んでくれるサポーターが多かったと感じているし、とても勇気づけられました。

 

 

公式発表のコメントでも伝えたように、這いつくばってでも、泥水をすすってでも戦い抜く覚悟です。1年間の期限付き移籍だけど、1年で帰ってくるつもりはありません。これは旅行ではないし、留学でもありません。粘れるだけ粘って、大きくなりたい。皆さん、これからも応援よろしくお願いします。

時間とお金に余裕があって、あと新型コロナウイルスの影響がなくなったら、ぜひドイツに遊びに来てください。たぶん寒いと思うので暖かくしてきてくださいね。ベルリンで待っています!

 

tags: 遠藤渓太

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