「ポステコグルー監督は、記者からすると答え合わせのできない監督ですね。選手もそうだと思います」-『変革のトリコロール秘史』を語る / 藤井雅彦インタビュー [無料記事]
そこに緑の芝が輝く練習グラウンドはない。工事用の鉄柵が張り巡らされ、建築用の資材置き場になっている。掘り起こされた地面が無残に思えるのは、その地で選手たちが汗を流し、練習にいそしんでいた芝があったことを、私たちは知っているからだろう。ここには、かつてマリノスタウンがあった。
藤井雅彦は思いを巡らせる。マリノスの過去の記憶と、ここから違う場所に旅立っていったマリノスの現在、そして未来について――
本誌「ザ・ヨコハマ・エクスプレス」の藤井雅彦が書き下ろした新著『横浜F・マリノス 変革のトリコロール秘史』(ワニブックス)が、3月31日に発売される。
マリノスを追いかけ続けてきた番記者によるマリノスの「秘史」とあるからには、ファン・サポーターにとっては見逃せない一冊だろう。
2019シーズン、ポステコグルー監督の指揮の下でマリノスが栄冠に至る道筋。それが番記者ならではの密着取材でのドキュメントとして綴られ、まとめられたこの作品について、本誌編集部は藤井雅彦へのインタビューを敢行した。
現行体制に至るまでのマリノスの道程から、シティ・フットボール・グループとの邂逅と改革の痛み、革命家と評されたポステコグルーの横顔、そして優勝の栄光とこれからの未来について、この新著にはどのようなことが書かれているのか。ヨコハマ・エクスプレス編集部は、その話を聞くために、マリノスタウンがあったみなとみらい61街区で藤井記者に会った。
「2006年、マリノスタウンがプレオープンした年に『エル・ゴラッソ』の記者として、マリノス担当を任されました。それからずっと密着取材しているわけですから、今年で15年目ですか。でも僕は長い間、記者としてリーグ優勝の瞬間に立ち会ったことがなかったんです」
「優勝してほしいんです」
『横浜F・マリノス 変革のトリコロール秘史』(以下、『秘史』)の冒頭は、藤井記者がこう小倉勉スポーティングダイレクターに訴えるシーンから始まる。
もちろん、自分が担当するチームの優勝は見てみたいものだろうし、ただでさえ藤井記者はチームの一員であるという自覚が普段から強いのだから、なおさらだ。しかし、それだけではない。
「2017シーズン終わりまでエル・ゴラッソのマリノス担当を務めた道中に、担当クラブの配置換えをする話もあったんですよね。でも、僕はそれを頑なに拒みました。それはマリノスと一緒に優勝しないまま去っていくというのは、何か違うと感じていたからなんです
最初にマリノスを担当した頃は、2003年と2004年に連覇を成し遂げたメンバーが残っている時代で、横浜の一等地にマリノスタウンがオープンする華々しい時代でした。スポーツ新聞におけるサッカー担当も、マリノス担当はいわゆる“花形”でした。各社のエース級が集まっていて、紙面上で激しいバトルが連日のように繰り広げられるわけです。それは僕の記者人生のバイブルであり、誇りや自慢になっています。だからこそ、マリノス担当として優勝したかったんです」
しかし、マリノスはリーグ優勝から長く遠ざかってしまう。それはそのまま藤井のマリノスでの経験ということになる。
「ようやく優勝した瞬間は、あまり実感が湧なかったですね。それは栗原勇蔵の引退が同じタイミングだったから。マリノスが優勝した日と栗原が引退した日は同じなんです。同い年の栗原とは選手と記者という垣根を越えて付き合ってきた関係ですから、僕としては優勝と同じくらい感慨深いものがありました。待ち望んでいた優勝が、ずっとそばで見てきた栗原の引退と一緒にやってくるというのは運命だったのかもしれないですね」
そんな藤井は2019シーズンのチームをどのように評価しているのか。
「強かったです。特に終盤は、本当に強かった。優勝するチームはこうやって優勝するんだな、と初めて知りました。それは勢いとか雰囲気、モチベーション、一体感などなど、すべて抽象的な言葉になってしまうんですけど、技術や戦術だけでなく目に見えない要素が集まったチームが優勝するんだな、と」
しかし、それだけではなかった。そこにはこれまで知られていない、選手たちのホンネのぶつかり合いや個々の葛藤があった。『秘史』では、それも赤裸々に綴っている。
「シーズン終了後に『ヨコハマ・エクスプレス』で『選手が選ぶMVP』という企画を実施しました。僕が選ぶとすれば、悩みに悩んだ末にチアゴ・マルチンスをMVPに推すと思うんですが、選手たちからもさまざまな意見・見方をもらいました。そんな中で、最も印象に残っているのは仲川輝人が選んだMVPです。
仲川はリーグ最優秀選手や得点王に輝いた選手です。その仲川が選んだMVPは、パク・イルギュだったんですね。パクが養ってきたモチベーションや、レギュラーを奪取できた理由である持ち前の野心、そして日々成長しようとする姿勢などを、仲川は理由として説明してくれたんです。仲川は「パギの存在が自分自身にとっても刺激になった」と言っていました。僕はその話を聞いて、思い出しました。
2019シーズンの序盤に負けた試合がありました。その数日後の練習で、仲川がパクに対して何気なしにこんなことを言っていた。『あのシュート、止められたんじゃない? もっとできるでしょ? もっとやれるよ』と。
聞き方次第では嫌味にも聞こえるし、チームメイトに発破をかけているようにも思える。ただ、本気だか冗談なのかわからない・・・。その時はちょっとわからなかったんですが、そんなことを言っていた。
でも仲川がパクをMVPに選んだ時に、初めて彼の真意がわかったんです。あぁ、だからあんなことを言っていたんだ、と。あれは仲間への信頼であり、期待値だったんです。そうやって仲川やパク以外も、選手たちは成長していきました。マリノスはもともと強かったのではなく、強くなっていったという表現が正しいと思います」
このようなエピソードは『秘史』にいくつか綴られている。例えば、逆転負けした試合後のロッカールームで、マルコス・ジュニオールに詰め寄った畠中槙之輔のエピソード。これは大方のファン・サポーターが畠中に抱く印象を大きく変えるものになるだろう。
「僕自身も、あの畠中が・・・と意外でした。これも勝つ集団になるための過程なんですね。ただ、こういうことは結果が出たあとでないと書けない部分もある(笑)。勝ってくれることを願い、結果を出してくれるのを待つしかないんです。勝たないと世に出せない話というのはいっぱいあるのが本当のところでもあります」
そこで質問してみる。勝たないと書けない話があるのならば、大きな影響力を持つ移籍情報なども、あえて書かないことがあるのか。
「少なからずそういった側面もあると思います。知ったこと、見たことをそのまま記事にするというのでは、記者の仕事として間違っています。取材で得た情報をどのように書いて、どのタイミングで出すか、そして誰に向けて書くかを、いつも考えています。ニュースになるから、話題になるから、というだけで書きません。僕にはもっと大事なことがある。『マリノスのために』ということです。
プレーする選手がいて、監督をはじめとするチームスタッフがいて、バックオフィスで汗を流す事業部の方々がいて、支えてくださるスポンサーがいて、そして声を枯らすファン・サポーターがいる。それが僕にとってのマリノスです。そのすべてのために書くのが僕の仕事ですから」
ヨコハマ・エクスプレスでは、時に辛口な藤井の記事に、読者からお叱りをうけることもある。
「それも含めて『マリノスのために』ということなので、そこはわかってもらいたいとはいつも思っています(笑)。言い訳のように聞こえるかもしれませんが」
では、そうした辛口でポステコグルー監督を語ってもらおう。『秘史』では、ポステコグルーについての章がある。その中で語られるホワイトボードに描く絵のエピソードはご愛敬だが、記者だから知れるポステコグルーの秘話はないのか。
「ポステコグルー監督は、記者からすると答え合わせのできない監督ですね。それは記者だけでなく、選手もそうだと思います」
ポステコグルー監督のメディアへの発言は、本音とは思えないもの、当たり障りのないものが並ぶことが多い。それはヨコハマ・エクスプレスをご覧の読者の方々でもお気づきの人は多いだろう。
「自分がこうだろうと思うことを質問しても、はぐらかされてしまう。答えをこちらが見つけようと思っても、答えはポステコグルーの中にしかない。答えを考える作業を選手、そしてメディアにも求めているのだと思います。ただ、そうすると解答例のようなものを見つけられない(笑)。それは選手もそうだと思います」
ポステコグルーが選手やスタッフに多くを語りたがらないというのは、『秘史』でも書かれている。記者会見では質問をかわし、日々の取材でも決して真意を語らない。
「私は人と距離を保つ」とは、『秘史』の中のポステコグルーのコメントだ。
一方、ポステコグルーのサッカーに向ける情熱は目を見張るものがある。バスでの移動中、ノートパソコンとiPadとスマートフォンの三台のデバイスで同時にサッカーの動画を流して見ているという。ちょっとしたオタクとも言える光景だ。意外なポステコグルーの一面である。
最後に、マリノス秘史について、出版の経緯や、読者へのメッセージもたずねてみたので最後にお伝えしよう。
「2013年に優勝できなくて悔し涙を流し、2016年末にはクラブの根幹を揺るがす出来事がありました。拙著にも書きましたけれど、シティ・フットボール・グループとの出会いや葛藤、さらには松田直樹がマリノスを去らなければならなかった経緯、中澤佑二や栗原勇蔵の引退など、クラブにはたくさんの歴史があります。こういった話すべてにファン・サポーターの全員が共感する必要はないけれど、知っていなければならないこともある。そのために書いた本です。
現在は、新型コロナウイルスの感染拡大を防止するためにJリーグが中断していて寂しさを感じている方も多いと思います。僕たちにとってマリノスのある生活は日常化しているけれど、実はいろいろなことを忘れさせてくれる非日常でもあるんですよね。272ページに僕のマリノス取材歴のすべてを詰め込みました。たくさんのファン・サポーターに手に取ってもらい、喜怒哀楽を共有してもらいたいです」
そういえば藤井には昨年、第一子が誕生したという。ヨコハマ・エクスプレスでの記者活動のモチベーションも上がりそうだ。本著のみならず、今後のヨコハマ・エクスプレスでの期待することにしよう。
『横浜F・マリノス 変革のトリコロール秘史』
3/31発売
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