「ザ・ヨコハマ・エクスプレス」藤井雅彦責任編集:ヨコハマ・フットボール・マガジン

「ユースからトップチームに昇格した2013年は1秒も試合に出られませんでした。反対に出られないことで見える景色も存分に味わえた」 [喜田拓也インタビュー(第2回)]

 

【喜田拓也選手インタビュー(第2回)】

実施日:827()
インタビュー・文:藤井 雅彦
協力:横浜F・マリノス広報室

 


 

 全試合フル出場を続けているキャプテン・喜田拓也。不動のボランチとして、そしてリーダーのひとりとして、チームを支えている。

 しかし、決して順風満帆だったわけではない。プロ12年目は苦しい時間を過ごした。ルーキーイヤーは公式戦出場0分に終わり、2年目のリーグ戦も途中出場が2試合のみ。紅白戦のフィールドプレーヤーから漏れる日も珍しくなかった。

 勝負のプロ3年目。努力が花開いた背景にあったのは「無駄ではない時間を過ごしたから」という自負だった。

 

 

 

 ユースからトップチームに昇格した2013年は1秒も試合に出られませんでした。リーグ戦どころか公式戦も出られず、紅白戦に入れないこともありました。それでも練習は、全員が一生懸命やっていたと思います。自分で言うのはおかしいかもしれないけど、手を抜かず全力でやっていたと胸を張って言える。

 チームはリーグ戦で優勝を争い、天皇杯でタイトルを獲りました。これは今年何度も言っていることですけど、勝つ時も負ける時もチームはひとつです。試合に出ている選手だけがすべてではなく、ベンチメンバーやメンバー外の選手も努力して、さまざまな形でチームを支えている。そのことを実感できたシーズンが2013年でした。

 

 

 今年はそれを再確認できているシーズンです。試合に出られない選手の姿勢や思いは絶対に無駄にしてはいけない。だから僕にとって2013年は意味の時間で、無駄だったとはまったく思っていません。1秒も試合に出られず、2年目の2014年もほとんど試合に絡めなかったけど、あの2年間はサッカー人生において必要な時間でした。

 

 試合に出る喜びはなかなか感じられなかったけど、反対に出られないことで見える景色も存分に味わえた。チームがどのように動いて、強くなっていくのかという感覚を養えて、それはユースの時までに培ってきた考え方と大きく変わらなかった。勝敗は細部に宿ると思っていて、だから試合に出場していない選手の振る舞いも大切になってくる。今年のチームはそれを少し表現できているんじゃないかという自負があります。

 試合に出られなかった時期に移籍を考えたことはありませんでした。当時は代理人(現在の仲介人)もつけていなかったですし、クラブからもそういった提案はありませんでした。今の時代はプロ1年目の選手でも仲介人をつけているケース多いし、移籍も活発な時代です移籍自体はまったく悪いことではない。どちらが正解というのもない。ただあの時の僕はF・マリノスで戦うことしか頭になかった。

 

 

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