You’ll Never Walk Alone Magazine「ユルマガ」

林彰洋インタビューvol.2「木木の本懐~僕のうしろにいた存在~」

 

 202011月に負った大けがは全治期間を過ぎても、快方には向かわなかった。

 

 待っていたのは、「したくはなかった」という再手術だった。

 

 やれることはやった。それでも報われない日々。次第に精神的にも追いつめられ、頭には「引退」の2文字が過ぎる。

 

 そんなときだった。サポーターから励ましのエールが届けられた。前を向くための言葉で埋まったメッセージボードが林を奮い立たせた。

 

 チームの最後尾を守っていたはずの自分の後ろには、彼を支える存在がいた。

 

◆過ぎった引退の2文字

 

―この2年間で、引退の文字が一瞬でも過ぎったということがあったんですか?

「常に頭にありました、最初の10カ月を超えてからは……。本当に辞めることを真剣に考えたこともありました」

 

―そんなそぶりは全く感じませんでした。

「プロの世界に入った次の日に引退することになっても、後悔しないように行動してきたつもりです。けがをしてリハビリもできる最大限のことをやってきました。今だからこそ言えるけど、シーズン中に治療のためにアメリカにも行かせてもらった。翌年のオフシーズンに再び渡米もしました。僕としては、全力で直したいというその思いだけで行動に移してきました。そこまでしてやれること全てをやってピッチに戻れないなら後悔はなかった。自分では戻れると思って行動してきたし、一瞬たりとも戻れないという思いになることはなかった。ただ、けがが思わしくない、足が動かない感覚は常に持ちながらだったので、引退はどこかで覚悟していました」

 

―恐怖はありましたか?

「今後何をやるかは考えましたが、恐怖はありませんでした。ここまでのことをやらせてもらっていたので。一日で終わるかもしれない世界です。練習初日に両足の前十字を切って半月板もなくなる可能性だってある。交通事故に遭うことだって可能性は0ではない。長い歴史の中ではそういった選手もいたはずですし、10年以上プロの世界でプレーし続けた選手と比べてどっちが幸せなのか? 10年以上プレーさせてもらったオレは幸せ者以外の何者でもないと思っています。悔いを残すつもりはなかったし、毎日思いを乗せて練習してきたつもりです。一日一日、自分の全てを出せたという思いで熱量を注いで毎日を過ごしてきました。そこに対しての後悔はないので、恐怖はなかったです」

 

―手術も1度では終わらず、復帰は簡単ではありませんでした。リハビリを続けられたのは意地だったのか?

「2年間、煮え切らない状況からパッと治ったというわけではありませんでした。気持ちが沈むときもあれば、上がるときもあった。ただ、けがの状態については、周りと僕自身の感覚が圧倒的に違っていた。何が良くて悪いのかも分からない状況のときもありました。でも、いろんな人との出会いで、こんな治療方法もあるんだという気づきや、学びもありました。そこは、常に進化しているイメージでしたね。受傷から10カ月が経って引退も頭に過ぎった。いよいよサッカーができなくなる可能性もありながら、人に助けられて新たな考え方や、ひざやけがへのアプローチの仕方、心の持ち様まで変化していった。だから、常に進化していたし、いつも治療やリハビリを吟味してきました。10カ月以降はいろんなトレーナーにも診てもらったし、いろんな人とも話をしました」

 

 

◆プロ失格の選手に染みた言葉

 

―その中で、再手術を選択します。

「再手術は正直、したくありませんでした。2度目の手術にあたって、ここが問題だからここを直せば絶対に動けるという確証があるなら僕は迷わなかった。そう断言してくれる医者がいたなら進んで手術を受けたと思います。『これなのかな』とか『MRIではわからないんだよな』とかではひざを開けられない。開けてみないと分からないという状況で、自分の商売道具にメスを入れられるわけがないでしょ?」

 

―そう考えていたのに、手術に踏み切った理由は?

「もうやりきったからです。開けない以外の手は全てやりきりました。だから、引退も本気で考えたんです。この術後のリハビリで自分が戻ることができないと感じたら、そのときは引退だと思っていました。運良く、2度目の手術後に出会った人たちのおかげで、治療を重ねて手応えも持てるようにもなった。本当に運が良かったけど、それでもきれいさっぱりという感じではありませんでした。煮え切らない思いはどこかに常にありました。何の悩みもないフレッシュな林彰洋ではなかった。何度も言いますけど、後悔はしていませんが、晴れやかな自分と、煮え切らない自分がいつも同居していた。その期間が長くなればなるほど、後悔していないという自分が徐々に煮え切らない自分に浸食されてしまっていた。そんなときに、救われたのがファンの人たちの声でした」

 

(残り 2014文字/全文: 4053文字)

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