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悪者なんていない【2023 YLC最終第6節 京都vs.FC東京 本音Column】

 

気持ちが入っていた森重真人。


先制のゴールを決め、安間貴義ヘッドコーチに抱きつく森重。Photo by HIROTO TANIYAMA(撮影:谷山央人)

 人がそれまでいた仕事場を去るとき、自らの意思でいなくなる場合と、不適格の烙印を押されて出ていかざるをえない場合があります。しかし後者の場合でも、当たり前ですがある一定期間その場所での特定の役割ではうまくいかなかったということに過ぎず、人格や能力をすべて否定されるものではない。ですが、ときにヒートアップして我々はプロジェクトの失敗に“悪者”を見出してしまう。
 たとえばあるプロジェクトの進捗に対して、まず前監督がよくないという思考に陥り、次にその前任者を追い出した社長や強化部やスタッフや選手がよくないという思考に陥る。でももちろん、世の中は100か0かに分かれ、どちらかが善でどちらかが悪であるというシンプルな二項対立では出来ていない。何かうまくいかなかったのなら、それは個々の力不足の総和がチームとしての力不足になった結果であり、前監督はその責任をとっていなくなるに過ぎない。

 

お茶目なところが目についたアルベル監督。撮影:後藤勝


 こんなことをつらつらと考えていたら、仲川輝人が「アルベルが悪いとか、そうではない」と言ってくれて、正直なところほっとしました。今シーズン前半戦の成績がよくなかった、内容がよくなかったとしても、監督の責任が100ではないと私は思うからです。
 
 ある約束事のもとに試合をして、ある局面で選手が前を向けなかったとする。それはその枠内で十分に仕事が出来ない選手の責任でもあるし、その選手の力を引き出すべく十分に指導出来ていない、あるいは選手が出来るような作戦を設定していない監督とコーチの責任でもある。FC東京もそうでした。
 
 何か問題が起きているとき、記者である私が「ではこうしたらいいのでは」と言うと、選手は「でも、チームで決まったやり方があるので」と、答えることが常でした。たとえば、相手にプレッシャーをかけられて東京の選手がボールを前に運べない状態であったとします。このとき中盤を省略して長いボールを蹴れば、前に運べない状態はクリア出来ますが、それはめざすところではないですから、単純に長く蹴ればいいというものでもない。
 
 現場はこうして、理想と現実と向き合う日々です。現実に向き合って眼の前の試合に勝つだけでいいと考えて定めたやり方から逸脱するか、理想に近づくために定めたやり方を貫くか。
 

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