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【U-23総括】2017シーズンのFC東京U-23を振り返る~中村忠トップチームコーチ兼FC東京U-23監督<前篇>

昨シーズン終了後、中村忠トップチームコーチ兼FC東京U-23監督に2017シーズンのFC東京U-23を総括してもらった。大勝と大敗の波が収まり、終盤にまとまりのあるいい戦いを見せるようになった背景には何があるのか。そして“大当たり”したジャキットの右ウイングバック起用についてどう考えているのか。二回に分けてお届けする。

◯技術や判断を磨いておくU-15、強さと激しさの要求を本格化するU-18

現役時代の中村監督は成蹊大学に通いながら読売クラブ、ヴェルディ川崎でプレーしていた。現在では珍しくないことだが、Jリーグ開設当初は大学で学びながらJリーグでプレーする選手はまだ少なかったという。
「読売クラブでは久さん(加藤久)が助教授(当時早稲田大学人間科学部)をやっていて、菊原志郎さん(中央大学)がいて、西澤(淳二、中央大学)がいてと、たまたま身近にそういう例があったわけですけど。のちにツネ(宮本恒靖)などの大学生Jリーガーが出て来るようになるまで、あまり一般的ではなかった」

読売の下部組織からトップに昇格した。高体連、大学の体育会、企業チームというルートではない。クラブチームで育ち、ごくふつうに進学したその独特の毛色が、指導者としてFC東京に加入して以降も活かされているのではないか。FC東京U-15むさしでは、深川とも異なる、つなぐサッカーを実践した。
「むさしの四年間は比較的自由にやらせていただきました。一年めはコーチでしたけれども、二年生を一年間担当させてもらい、翌年に監督という立場になってからも。コーチ陣が充実していて、大熊(清)さんや福井(哲)さんから『こうやれ』と言われることもなく自由でした。選手はみんな巧かった。プロになれる子も何人かいるだろうなと思い、将来的にどうなっていくかをイメージしながら指導に取り組んでいました」

2016年、FC東京U-18のコーチに就任、Bチームの監督を執った中村は、当時中学生だった久保建英をTリーグの公式戦で起用、前線守備の指導をおこなっている。同年、FC東京U-23も発足。「育成の前倒し」をキーワードとする飛び級の出現が加速する状況で担当チームを移ったことになる。平川怜も久保建英もむさしから来た選手。継続して育てることにもなった。
「ジュニアユース、ユース共通して、個人の部分が巧く賢く強くならないとトップにつながらない、それらをある程度兼ね備えていないと上がれないのは明確だと思っています」

ユース年代はプロになる前の最後の準備期間という位置づけ。激しさや強さについても、プロで勝負できるかできないかを判断しないといけない。ジュニアユース年代でも要求はするが、肉体的に完成されてくるU-18で本格的に着手することになる。だからこそU-15ではたしかな技術を身につけておく必要があるということでもある。
「からだを使うということにも技術が入ってくるので中学生のときにも絶対必要なことなんですけど、全員がボールに寄せてその次の動作でグッと踏ん張ってスピードに乗れるかと言えば、筋力なり身体能力の差があるので上の年代のようにはいかないんですよね。それよりはしっかりと止められるか蹴られるか、逆をとれるか、周りを見ることができるか、イメージを持っているか、そういうものを伸ばすときだと思います。ぼくは自分自身をあまり技術の高くないプレーヤーだと思っていたので、技術をもっとやっていけば、もっといい選手になれただろうと、のちに思いました。考える力がつくから、プロになってからもある程度進歩はしますけれども、ボールタッチを柔らかくすることは難しい。中学生のときに技術や判断を磨いていかないとあとで苦しくなるぞ、と」

◯アカデミーを経てU-23で実践したこと

2016シーズンの途中からトップチームに移り、U-23の監督を兼務するコーチとなった。日々、若手の選手を指導しながら、週末はFC東京U-18の選手も加えてU-23を編成、J3の試合に臨んだ。サッカーのコンセプトはトップチームと同じ。監督としてやるべきことはメンバーの決定と交替ということになるが、伝えるべきことは試合のなかで伝えていた。
「フィールドプレーヤーが12人か13人だというかぎられた状況もかえってよかったですよ。そのなかで個々を使って伸ばす作業と、

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