「栃木フットボールマガジン」鈴木康浩

【無料掲載】完全復帰の和田達也は次のステージへ。「試合に全然出ていないときも『和田ちゃん頑張って』と言ってくれることが励みでした」(21.12.26)

2016年から6年間在籍した和田達也が今季限りで契約満了になった。昨年夏に負った靭帯断裂のケガから復帰するためのリハビリに励んだ今季。そして未来に対する思いを最後に語ってもらった。

(インタビューは12月15日に実施)

 

▼最後の3週間は万全な状態だった

――今年はずっと復帰を目指していたと思うのですが、最終節に復帰するまでに十分にお話をすることもできずに契約満了になってしまったので、少しお話がしたいなとインタビュー申請をさせてもらいました。

「ありがとうございます」

――今季もずっと復帰を目指してリハビリをしていたと思うんです。どういう感触だったのでしょう。

「今年1年間はずっともどかしい気持ちがありました。リハビリが特別うまくいかなかったわけではないんですが、誰が悪いということでもなく、タイミングなどがすごく悪い流れで色々と重なってしまったのかな。いろいろところが噛み合わなかったかなあと思います」

――それは何なんでしょう。

「自分のなかで『早く復帰しないといけない』という焦りがあったことが一番なのかなと。前十字靭帯の断裂は二回目でしたが、去年10月にオペをして、今年はキャンプからずっとリハビリをしていて、みんながキャンプのときにもハードにトレーニングしているのを見ているのですが、自分は室内でリハビリをしていて、みんながトレーニングをやり切った様子で上がってくるのを見ると、『自分は何やってんねん』という気持ちもこみあげてきたし、今思えばですけど、自分のなかに焦りはあったのかなと思います」

――リハビリからグラウンドに戻ったときに“まだ早いかな”という感触があったのですか?

「そこはプレーできるつもりでグラウンドに出ているので、そんなことはないと思っていたんですけど、もう少し自分の心に余裕があれば、もっと余裕をもって復帰するまでの過程を考えることができたのかなと思います。すでに夏明けくらいには前十字の部分は回復して復帰していたのですが、そこから残り3週間になるまで完全復帰するのに時間がかかるとは思っていませんでした。『やらなきゃ』という思いが強かったので、グラウンドに復帰したときに自分が思う以上に頑張り過ぎていたのかなと。そこでもう少し余裕をもって考えることができていれば、急激にペースをあげずに、様子を見ながら2、3日の休みを取りながら、という調整をしながら良い状態で完全復帰することもできたのかなと思います。今思えばなんですけどね」

――少し急いでしまったがばかりに患部が炎症してまたリハビリに戻るという繰り返しになったと。

「そうですね。患部をかばうことになるので別の箇所が痛くなったり。今年はそういうことがすごくありました」

――それでも11月中旬には戻ってきて、最終節にはベンチ入りも果たしました。その頃はどうだったのでしょう。

「最後の時期はこの1年間のなかで一番良い状態に戻っていました。残り3週間は何も不安もなくプレーできていました」

――その間、色々な人の話を聞いたり、坂田良太“先生”に電話したり、ですか?

「良太君には定期的に連絡を取っていたし、僕のメンタルを支えてくれていましたね(笑)」

――アドバイスを?

「良太君はずっと『無理をしないで』ということは言っていましたね。『焦る気持ちがあると思うけど、無理をしてしまうと余計にサッカーができなくなる』と。良太君とか、あとは菅さんらがかなり心配してくれていて」

――シーズン終盤戦のアウェイ長崎戦やアウェイ北九州戦はパブリックビューイングをやったんです。そのMCとして盛り上げた菅さんが和田選手のユニフォームを着ていたんですね。

「菅さんもそうだし、菅家の皆さんが応援してくれていたから、最後に何とか試合に出たかったんです。ずっと食事を一緒にさせてもらったり、ほんと6年間お世話になりました」

 

2016年8月撮影

 

▼愛鷹決戦は栃木の大サポーターに興奮した

――6年在籍したなかで一番印象深いことは?

「試合でいえば、やっぱり2017年の最終戦の沼津戦が一番印象に残っていますね。その2年後には奇跡の残留もありますけど、僕的には愛鷹の沼津戦が一番印象深いです」

――あの試合はスタメンを告げられて。

「緊張しかなかったですね(笑)。前日練習からめちゃくちゃ緊張していましたから。前日練習の時点でゲーム形式のメンバー選考からして、ああこれはスタメンだな、と感じたんです。でも、この試合で来年の人生が変わるという戦いだったので、試合前まですごく緊張していて。でもスタジアムについて、あの栃木の大サポーターの光景を見たら逆に興奮してきたんですよね」

――メインスタンドの半分とゴール裏はぎっしり埋まっていましたからね。

「やってやろうという興奮に変わっていった、という感じでした。あの試合は(廣瀬)浩二さんも菅さんも試合に出ているし、あのベテラン2人の存在は大きかったですよ、本当に」

――あの愛鷹決戦が栃木に来て2年目の出来事でした。チームとともにJ2に戻ってきて、横山監督の下で18年シーズンも17試合に出場。その後のケガさえなければという思いはありますか?

「ケガさえなければ、1シーズンをフルで闘える戦力になっていける感覚はありました。ケガだけが多かったですねえ……」

――ケガをしてピッチから離れて学んだことはありますか?

「めちゃくちゃありますね。一ついえば、チームを客観的に見れるようになった、ということです。ケガをした、していない、ではなくて、僕にとっては菅さんの存在が本当に大きくて、試合に出ていないときの振る舞いが本当にすごかった。それって今年のチームもそうですけど、僕はピッチ外で柳と一緒にいることが多かったんですけど、『このチームは試合に出ていない選手たちが本当に頑張っているよね』という話をいつもしていて。それは菅さんとか浩二さんとか、以前栃木に所属していた選手たちの伝統がしっかりと残っているのかなと思いましたね」

――和田選手もリハビリしながら試合に出ていない選手の一人として盛り立てていたのですか?

「そこは菅ちゃんみたいにみんなを集めてミーティングをするような立場ではないですけど、試合に出ていない若手と話をすることは意図的にやっていました。グラウンドでジョグしながら話をしたり、意識はしていましたね。面矢なんかは最後のほうはかなり話をしました。というのも、以前栃木にいた選手たちからいろいろと連絡をもらうんですよ。今も栃木の試合を見ている人が本当に多くて。『面矢君は最近試合出ていないよね? どうしたの?』とか」

――たとえば誰ですか?

「田代君とか、藤原広太朗君とかも結構連絡くれて、栃木のことを気にしてくれているんです。色んな人が栃木のことを気にかけてくれているんですよね」

――西澤代志也選手とかも。

「代志也君は個人的なことが多いですね。『ケガは大丈夫か』というところから始まって、本当に定期的に連絡をくれていました。『オフシーズンになったら栃木に戻るから正座して待っとけ』とかいつも連絡が来ますね(笑)」

――彼も今回引退を決めましたけれど事前に連絡はあったのですか?

「リリースされる少し前にありました。そのときに『今度栃木に行くから話そう』と」

 

2016年10月撮影

 

▼栃木の良さはみんなで県民歌を歌えること

――試合に出ていない選手たちが頑張れることが栃木の伝統だ、という話ですが、廣瀬さん、菅さん、和田選手らがいなくなってしまう今後、チームに残せていければと思うんですが、誰かいますか? 引き継いでくれそうな選手は?

「誰ですかねえ。誰が残るかも全然知らないんですけど、まあでも、川ちゃんとか、西谷優希君とかが栃木在籍歴は長くなってきますよね。そういう選手たちがやってくれたらいいなと思いますね。川ちゃんはそんなにやらないかもですけど(笑)」

――GKGKグループだから練習は個別で特殊ですからね。

「そうですね。ああでも、面矢なんかは試合に出ていないときも練習から腐らずにやり続けていたので、頑張ってほしいですね。一緒にご飯を食べていても、彼は自分が思っていることに対する意志は相当に強い方なんです。周りが言っていることをあまり聞いていないし(笑)、自分を信じて貫くんじゃないですかね。そういうタイプだと思うし、何よりも思い切りよくプレーすれば彼の良さが出るのかなと思います」

――栃木で6年間という時間を過ごしましたが、これだけ長くいると思っていましたか?

「いやもう全然ですよ。ここに来た1年目の2016年は1試合も出ていないし、2年目にようやく試合に出始めたような自分がこれだけ栃木にいさせてもらえるとは思っていなかった。最後はケガが多かったのでクラブに面倒を見てもらった感じになってしまったんですけど、まさか6年もいるとは」

――6年もいるとクラブにも土地にも愛着が沸きますよね。

「6年間僕が栃木にいるなかで、栃木にかつて所属していた色々な選手たちがオフシーズンに栃木に遊びに来ることが多いんですよ。でも、その気持ちはわかりますよね。人だったり、街だったり、いいんですよ」

――落ち着く街。

「いい人たちが本当に多いので、みんなその人たちに会いに来るんですよね。自分も今後、何かあるときにはまた栃木に戻って来たいなと思っていますからね」

――和田選手にもそういう人がいたり店がある。

「いっぱいありますね。たとえば幸麺とか。幸麺のお母さんとか店長さんが栃木SCを一生懸命に応援してくれているんですよ。すごくお世話になったし」

――栃木に6年間所属して、指導されたのは横山監督であり、田坂監督でした。2人には鍛えられましたね。

「そうですね。横さんはいい意味ではっきりと言ってくれる監督だったので、これがいい、これがダメというのがわかりやすかったんです。『プロである以上はな』という内容をよくミーティングでも口にしていたし、面談でも一人ひとりに言っていました。僕自身、ここまでやれたのは横さんのそういう指導や存在が大きかったですね」

――田坂監督に代わってからはケガが続いてしまったわけですが、今季も長いリハビリから復帰して、ついに最終節にはベンチ入りしましたね。事前に何かあったのですか?

「いや、僕自身もびっくりしました。残り3週間のトレーニングのなかで、試合に絡みたい、試合に出たい、という思いを強く持って練習に参加してたんですけど、まさかベンチに入るとは思っていなかったのでビックリしました。試合を迎えるに当たって特別に話をする感じもなかったのでビックリしましたね」

――最後に少しでも試合に出られたら良かったんですけどね。

「そうですね。柳があそこであと2点くらい獲ってくれると出られたかもしれない(笑)。それは冗談ですけど、柳は自分の得点はともかく、最後は勝って終わるんだ、ということをずっと言っていましたね」

――今回、契約満了になり、ケガをしていたし仕方がないと受け止めているんですか?

「そうですね。その気持ちがありますし、逆にいえば、この2年間はケガが多かったので感謝の気持ちが大きいです」

――最後の2年間はコロナ禍になってサポーターと直に触れ合う機会もほぼなくなってしまったことも残念でした。

「そうなんです。僕が思っている栃木の良さは、やはり、試合に勝ったあとにみんなで県民歌を歌うことなんですよね。勝ったあとにみんなで肩を組んで歌うのが本当に気持ちがいいので、去年から栃木に来ている選手たちがあれをできないのはもったいないなと。あれをやるぞ、と頑張れるところもあったんでね。あれはいいですよ、本当に」

――愛鷹でも昇格を決めて、みんなで肩を組んで県民歌を歌いましたからね。アウェイだったけれど。

「気持ちよかったですよね。相手の最終節のセレモニーもあったのでアウェイで遠慮しながらでしたけど、嬉し過ぎて関係なかった。史上最高に気持ちがいい県民歌でしたよ、あれは。あれが栃木というチームをより一つにする瞬間なので、コロナが収まって、また元に戻るときが来れば、またみんなで歌えるようになればいいなと心から願っています」

――12月の第一週には選手会の合同トライアウトにも出られました。感触はどうでしょうか?

「正直、わからないですね。ただ、今シーズンの最後の3週間はケガの心配も不安もなくできていたし、痛みもなくできていたので、トライアウトのときもプレーは何も不安もなく出し切れたところがありました。あとは見ている人が判断するだけなのでわからないですけど、いい報告ができたらいいなと思っています」

――出すべきものは出せたと。

「そうですね。僕のことをよく知っている人がトライアウトの現場にいて、ちょっとだけ話す機会があったんですけど『(和田)達也、お前めちゃくちゃ走れるようになったな。横さんと田坂さんのサッカーを体現しているな』って言われて、嬉しかった。本当に頑張ってきてよかったなと。どう判断されたかはわからないですけど、そういう人たちに、今後もサッカーは続けますよ、という意思表示にはなったと思います」

――和田選手と言えば、プレススピードがピカイチですよね。今年の栃木でもサイドハーフで試合に出場していたらそこはチームで一番だったのでは。

「そこは高校時代は得意ではなかったんですけど、横さんや田坂さんに身に着けさせてもらったと思っているんです。今年も試合を見ながら『自分だったらもっとアプローチに行けている』と思える感覚があったので、その意味で、まだまだ自分はやれるぞという気持ちがあるということなんです」

――その強みを次のチームで活かせればですね。最後にサポーターや栃木の人たちに何かありますか?

「僕は栃木に6年間いて、めちゃくちゃ点を取るような選手でもなければ、チームに大きな貢献ができたかといえばはっきりとは言えないんですけど、この6年間、周りの人たち、選手もそうだし、スタッフ陣もそうだし、サポーターもそうだし、スポンサーの方々もそうだし、僕が全然試合に出ていないときも会うたびに『和田ちゃん頑張って』と言ってくれることが本当に励みになっていました。自分はそういう人たちのおかげでサッカーができているんだ、ということを肌身で感じさせてくれたのが栃木での6年間でした。本当に感謝してもし切れないです」

――また和田選手が元気にプレーしている姿を見られればと思っています。

「ありがとうございます。僕はまだまだ頑張りますよ」

(了)

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