「栃木フットボールマガジン」鈴木康浩

中美慶哉インタビューvol.1 ~決意~「栃木SCがJ1へ行けるくらいの可能性を残してから外に出たかった」

昨季41試合に出場、二列目の選手として攻守にフル稼働しながらチームトップとなる10得点をマーク。現在24歳。

 

中美慶哉が巣立つことはわかっていた。覚悟していた。

 

それが現実となって周知されたのは12月30日のこと。

J1サガン鳥栖への移籍が決まった。

 

栃木SCに加入したのは2014年シーズン。

中美は、流通経済大学4年の春に負ったケガのリハビリを続けるかたちで、地元のクラブであり、自身がジュニアユースの選手として全国で活躍し、「愛着がある」栃木SCへ加入を決めた。

 

プロ1年目となる2014年シーズンは、1年以上におよぶリハビリが明けた夏頃から出場機会を増やし、15試合出場で1ゴール。しかし、その唯一のゴールはアウェーのジュビロ磐田戦で決めた、ゴール中央から相手GKの意表を突くビューティフルゴール。

 

すでに質の高さを見せつけていた。

 

そして、2年目となる2015年シーズン、中美は飛躍する。

貪欲なゴールへの姿勢。チームを救う終了間際の劇的なゴール。

中美はエースの称号を手にし、栃木SCを牽引する存在に成長を遂げていた。

 

しかし、一方でチームはJ3降格の憂き目にあった。

中美がどうもがこうとも、抗えない負のスパイラルは、チームをJ3へと葬り去った。

 

シーズンの終盤から中美の胸中は激しく揺れていた。

プロ選手として天井なく飛躍したいという思いと、愛すべき地元栃木への思いと――。

 

そして、今オフ、中美は決意した。

その胸中のありのままに迫った。(インタビューは2016年1月4日)

中美慶哉

「まず栃木で何かを残したいという気持ちが強かった」

 

インタビューを敢行したのは、J1鳥栖への移籍が発表されてから5日後となる14日のこと。

取材場所で中美を待っているとき、携帯の速報がこう知らせていた。

『速報 J1サガン鳥栖の新監督にマッシモ・フィッカデンティ氏の就任が濃厚』

 

マッシモか。いいかもしれない――。そんな思いを巡らせているところに中美はやってきた。 

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