「スタンド・バイ・グリーン」海江田哲朗

【無料記事】【インタビュー】【トピックス】別れのことば『後悔は何ひとつない』奈良輪雄太(24.1.13)

12月9日、『VERDY FAMILY FES.2023 in ヴェルディグラウンド』で、奈良輪雄太はサポーターに向けて最後の言葉を届けた。

12月9日、『VERDY FAMILY FES.2023 in ヴェルディグラウンド』で、奈良輪雄太はサポーターに向けて最後の言葉を届けた。

奈良輪雄太がピッチを去る。横浜F・マリノスのアカデミーで育ち、筑波大を経て、2010年に当時JFLのSAGAWA SHIGA FCに加入。以降、横浜FMで3年、湘南ベルマーレで2年、東京ヴェルディでキャリア最長の6年間プレーし、昨季をもって現役生活に別れを告げた。
東京Vにおける奈良輪はプロのあるべき姿勢、求められる基準を示し続ける人であり、混じりっけのない全力プレーはいつだって希望の光だった。その地道な取り組みは、最後に16年ぶりのJ1昇格という形で実を結ぶことになる。
タッチライン際を疾走する姿は、もう二度と見られない。歯に衣着せぬ言葉にも触れられない。そう思うと寂しさが募る。だが、さよならの先には新たな展開が待っていた。

■現役最後のチームと決めていた

日々、誰よりも早くクラブハウスに入り、身体のケアを怠らず、練習に備えて入念に準備する。奈良輪雄太のプロフェッショナルな姿勢は、若い選手にとって最高のお手本だった。

練習が10時から始まるときは、6時半に起きて7時前には家を出て、7時15分ぐらいにはクラブハウスに着いていました。そして、練習開始に備えるという流れでしたね。最後の2年間はそんな過ごし方でした。スタッフより着くのが早く、クラブハウスの外で待っているときもありましたね。そのうち僕のために気を遣ってくれて、7時過ぎには誰か来てくれるようになりました。

引退後に変わったのは、目覚まし時計をかけなくなったことかな。いままでは食事や風呂に入る時間、就寝などすべて規則正しく生活を送っていましたが、時間の縛りが一切なくなりました。ただ、習慣が身体に染みついているため、特に不摂生はしてないです。最近は朝起きて、子どもが学校にいく前に、近所の公園でほぼ毎日サッカーをしています。結果、午前に身体を動かすサイクルも継続中です。

サッカー選手の場合、土日は子育てに完全ノータッチ。イベントにもほとんど参加できません。ただ、平日の午後はフルに時間を使えるため、ほかの仕事をしている方々と比べて、子育てに多くの時間を使えたと思います。

東京ヴェルディから契約満了を告げられれば引退する。ここ2年、家族にはそう伝えてきました。ヴェルディがJ1昇格を決めた2日後、「面談にいってくるね」と言って家を出たときに、妻は引退するのだろうと覚悟していたそうです。僕自身は契約の可能性はあると考えていましたから、妻のほうがよほどサッカー界のことを俯瞰して見られていたんだなと自分の未熟さを感じました。あとで話を聞いて、そうだったんだとびっくりしましたよ。

小2の娘は引退を完全に理解していて、寂しさを感じているようです。一方、小1の息子はまだそこまではっきりした気持ちが湧いていない感じですかね。おそらくふたりの記憶には自分がプレーしていた姿が残るでしょう。その年齢まで現役を続けられてよかったと思います。

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