「スタンド・バイ・グリーン」海江田哲朗

【無料記事】【インタビュー】【トピックス】別れのことば『緑の日々』 高橋翼(23.10.17)

長年、裏方として東京ヴェルディを支え続けてきた高橋翼さん。

長年、裏方として東京ヴェルディを支え続けてきた高橋翼さん。

東京ヴェルディの最古参の社員で、読売クラブ時代を知る最後のひとり。つばささんが9月末で定年退職となった。
東京Vの歴史は浮き沈みが激しい。変わりゆく様を見て何を思い、どんなふうにクラブとともに歩んできたのだろう。約40年に及ぶ「緑の日々」を語ってもらった。

■日本リーグ初優勝の歓喜

読売クラブの存在を知ったのは高校生の頃だった。最初は、サッカーっていいな、面白いなという素朴な思いだった。18歳で上京し、つばささんの緑の物語は始まる。

1989年の6月からここで働き始めて、半年ほどブランクはありますが、34年間になりますね。就業規則により、9月末で定年退職を迎えます。

もともと私はファンのひとりでした。(東京ヴェルディの前身である)読売クラブを最初に知ったきっかけは、高校生の頃、テレビで見た日本代表の試合。都並(敏史)さんと(戸塚)哲也さんが出ていて、あのふたりが……なんか面白かったんですよね。所属はどこだろうと調べたら、読売だと。

すっかりサッカーが好きになって、高3のとき体育の授業が選択制だったので「サッカー」と書いて提出したら、女の子にさせられるわけがないと先生が却下。まったく、ひどい時代ですよね。

18歳の頃、生まれ育った愛知から東京に出てきたのはサッカーと関係なく、お芝居をやるためです。劇団青杜(声優の古川登志夫が創立主宰)に所属し、舞台俳優を目指していました。ところが、2年も経たずに挫折してしまいまして。せっかく東京に出てきたのにどうしようかなと思い、先が決まるまでバイトをしながら好きなことをやってみようと。

練習場の近く、西生田小学校付近に住んでいたので、たまの息抜きにトレーニングの見学にきていたんですが、ひまになっちゃったので本格的に読売の試合を観始め、83年あたりからどっぷりハマってホームもアウェーも全試合いくようになっていました。北は北海道から南は九州まで。いわゆる追っかけというやつです。

振り返って、一番うれしかったのは83年の日本サッカーリーグ(JSL)初優勝ですね。あのとき私は等々力競技場のスタンドにいました。当時、応援の中心はゴール裏ではなくバックスタンド。群衆のなか、飛び跳ねて喜んでいたのを憶えています。

翌シーズン、読売がリーグ連覇を達成したときに中村和哉さん(現日テレ・東京ヴェルディベレーザGKコーチ)から優勝メダルをいただいたのも思い出深いです。毎試合、どの会場にも欠かさず応援に駆けつけていた私に「もらっとけ。おまえにはもらう資格がある」と突然手渡され、恐縮して受け取りました。いまでも後生大事に持っています。

次のページ

1 2 3 4
« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ