「スタンド・バイ・グリーン」海江田哲朗

【無料記事】【フットボール・ブレス・ユー】第61回 澤井直人が新国立のピッチを駆ける ~クリアソン新宿~(22.10.7)

第61回 澤井直人が新国立のピッチを駆ける ~クリアソン新宿~

「クリアソン新宿に興味はないか?」

澤井直人にそう声をかけてきたのは高校時代からの友人である須藤岳晟だった。須藤は浦和レッズユースから中央大学へと進み、2018年、クリアソン新宿(以下、クリアソン)に加入。現在、キャプテンを務めている。

2021年12月6日、レノファ山口FCとの契約満了が発表された直後に連絡を受け、代表の丸山和大につなぐから一度話を聞いてほしいという。澤井は同月9日のJPFAトライアウトに参加したあと、丸山と会うことになった。

初対面の場で丸山は早急に話を進めようとしなかった。新宿からJリーグ、世界一を目指すクラブの理念や構想、2022シーズンからJFLを戦うクリアソンの現状をざっくばらんに語り、次は澤井のことを教えてほしいと求めた。

J2、あるいはJ3でキャリアを続行したい澤井の希望は承知のうえ、今後連絡を取り合っていこうと約束してその場は別れる。移籍先探しが難航する間、須藤もまた、クラブの関係者というよりひとりの友人として澤井と接した。

「年が明けても新しいチームが決まらず、2月には決断を下さなければと。選手として苦しい時期、マルさん(丸山)や須藤は親身になって寄り添い、変わらずに自分が必要だとぎりぎりまで待ってくれていました。最終的に決めたのは……クリアソンの掲げるビジョンに共感し、そこに自分も乗っかりたい、特別なパワーを持つ新宿から発信できる可能性にチャレンジしたいと思えたからです。選手生活を続けるだけではなく、ビジネスを学べるというのも大きかった」

2022年2月9日、澤井のクリアソン加入、株式会社Criacaoへの入社が同時に発表された。澤井の新たなる挑戦が始まった。

遡ること8年前の2014年、澤井は東京ヴェルディユースからトップに昇格。順調にキャリアを重ねていたが、4年目以降の道のりは険しいものとなった。

2017年の開幕前、右足アキレス腱断裂の重傷を負い、そのシーズンを回復に費やした。2018年8月、フランスリーグ2部のACアジャクシオに期限付き移籍(8試合1得点)。2019年5月、東京Vに復帰し、9試合0得点。2020年は11試合0得点と主力に定着することなく終わる。

2020年の最終節が迫ってきた時期、澤井は永井秀樹監督(当時)に「練習後、話があるからきてくれ」と呼び出される。用件はおおよそ察しがついた。

「覚悟はしていましたね。僕と永井さんのこれまでの関係性もあり、契約満了の報せを強化部からではなく自分の口から伝えたいと、ふたりだけで話をする時間をつくってくれました。その前のシーズンもチームに貢献できていなかったので、もっと目に見える活躍をしなければ、数字を残さなければアウトになるだろうと。ヴェルディでプレーできないのは寂しくてつらかったですけれど、受け入れるしかない。自分の力不足のせいで、『チームのなかで生かし切れず、すまなかった』と永井さんに言わせてしまったのが申し訳なく、責任を感じました」

そうして東京Vを離れて外の世界を知った澤井の眼には、自分の育った環境の特殊性が浮き彫りとなって見える。

「ジュニアからトップまで同じ施設で練習し、スクール生の頃からプロを意識できる環境。それがあるのはあそこのランドだけ。僕はあの空気と匂いのなかで育ち、いまでも戻りたいなと恋しく思います。クラブハウスを自分の家のように感じ、ロッカールームの雰囲気が大好きでした。ヴェルディ以上にイジってくるチームはほかにないんですよ。レベルの高さは群を抜いていて、マジかと目を疑うような出来事がしょっちゅう起こる。長い間、楽しく過ごさせてもらって、先輩方や後輩たちに感謝しています」

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