大宮花伝

【☆無料記事】浦和東高校が創立40周年記念式典。浦和南高校サッカー部との招待試合などでお祝い

 

日本代表GK川島選手からの
メッセージも

埼玉県立浦和東高校は10月31日、創立40周年記念式典を埼玉スタジアム2002で行い、全校生徒、教職員、保護者らが参加し、さいたま市立浦和南高校サッカー部を招いての招待試合などで節目を祝った。

齋藤明博校長は式辞で、40周年を迎えられたことについて学校関係者らへ感謝を表し、米メジャーリーグで活躍する大谷翔平選手の投手と打者の二刀流という異例の挑戦を挙げて熱弁。齋藤校長は「教育者が固定観念や先入観を持つことで生徒の限界を勝手に決めてしまえば成長する機会を奪うことになり、将来の可能を潰しかねない」と話す。大谷選手のように既成概念には囚われず「小さな完成品として卒業させるより、大きな未完成のままの方が卒業後に可能性が開花すると信じて教育活動を展開していきたい」と方針を示した。

大型ビジョンではサッカーW杯カタール大会(11月20日開幕)日本代表GKで卒業生の川島永嗣選手からのサプライズメッセージも流された。川島選手はお祝いの言葉を述べ、自身も今年で母校と同じ“40歳”になると明かし、「ここまで浦和東と縁があるとは思ってもみなかった」と感慨深げ。「これからもたくさんの生徒の夢とともに新しい歴史を築いてくれることを期待しています」と締めた。

 


式辞を読む齋藤明博校長


招待試合でハーフタイムショーを行うバトン部

 

魂を受け継ぐ“親子対決”

サッカー部の招待試合では埼玉県のスポーツ界で欠かせない存在の上野晃アナウンサーがさまざまなゲストと前半を生実況し、後半はスタンドでサッカー部員のほか、バトン部や吹奏楽部が応援して盛り上げた。これまではコロナ渦だったために応援などは自粛が続いただけに、ようやく活気が戻った様子だ。サッカー部の平尾信之監督は生徒たちの楽しげな姿に「学校がちょっとでも元気になれば。子どもたちがまとまるきっかけになるといいなと思っていた」と目を細めた。

試合は浦和東、浦和南ともに守備が堅く、0−0のスコアレスドローで終了。両校の3年生にとっては集大成とも言える思い出の試合にもなった。対戦した浦和南の野崎正治監督は1992年から24年間、浦和東で指揮を執ってチームの礎を作り、全国高校選手権に5回、全国高校総体は8回出場している。また、浦和南コーチ陣の秋元勝教諭、鈴木豊教諭、河手俊律教諭、濱田駿教諭は浦和東でも教えた経験があって両校の縁は深い。

野崎監督は両校を「“血を分けた親子”」と表現。浦和南OBの野崎監督は母校で指導後、浦和東に赴任しており、「南高の血を持っていったようなもの。両校で切磋琢磨しながら公立高校を盛り上げたい。一緒に頑張りましょう」と呼び掛けた。野崎監督が持ち込んだ“血”は“浦東(うらとん)魂”として引き継がれ、若原凛飛主将は「ゴール前(の攻防)や、球際、ヘディング、勝負のキワ、最後に決める、決めさせないと強さ、厳しさにこだわっている」と胸を張る。また、「浦和東は人間性を大事にし、人間的にも成長した3年間だった」と実感を込めた。

平尾監督は浦和東OBでもあり、野崎監督の“愛弟子”の一人で「野崎先生には浦和東を強くしないといけないと言われている」とのハッパを掛けられた。「いいチームを作る、いい選手を育てる」を信念とし、同時に「勝てるチーム、強いチーム」の継承を誓う。卒業生が指揮官として就任したのは初めてで「次のOBたちにつないでいくことが僕の仕事」と平尾監督。伝統の“浦東魂”を次世代へ「引き継ぐところはやりたい」と見据えた。

濃密な歴史を持つ“親子対決”を終え、若原選手は「勝ちたかたった」一方で「真剣勝負ができてすごい楽しかった」と清々しい表情。初めてにぎやかな応援を背に戦い、「コロナ渦のときに入学したので声出し応援が経験できなかった。最後にそのなかでサッカーができてよかった。力が湧き出てくる感じがあった」と喜んだ。

浦和南の古市颯馬主将は「浦和東とやるというのは他の試合以上にいろいろな思いがある」と普段から特別で、しかも「40周年に絡めて呼んでもらって、一緒にできてすごくよかった」と貴重な機会にもなった。また、浦和南での充実したサッカー生活を振り返り、「3年間やり切ってすごく自信がついた。(今後に)教えてもらったことをいい形でつなげられれば」と微笑んだ。

 

浦和東イレブン(赤)と浦和南イレブン

 

浦和南高校サッカー部の野崎正治監督(左端)

 

浦和東高校サッカー部の平尾信之監督

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