「ゼルビアTimes」郡司聡

村主博正監督(いわきFC)/“相馬流”に“自己流”をブレンドした昇格請負人。決勝点の裏に隠された見事な“伏線回収”【連載・元町田戦士の現在地41/コラム】

■明治安田生命J2リーグ第33節
11月13日(日)14:00キックオフ
相模原ギオンスタジアム/2,804人
SC相模原 1-2 いわきFC
【得点者】相模原/89分 野澤零温 いわき/38分 有田稜、53分 吉田知樹

町田ヘッドコーチ時代。19年当時の主将・井上裕大と

▼「相馬さんは僕の師匠」

縦横圧縮型のコンパクトフィールドが、傘に掛かったように相手へ襲い掛かる。またルーズボールが生じると、出足の鋭いスピードでセカンドボールをモノにし、縦へのシンプルな配球や、“ワンサイドアタック”を織り交ぜながら、連続攻撃を仕掛けていく。そしてトランジションや帰陣もスピーディーかつスムーズだった。

かつて町田で一時代を築いた“狂気のコンパクトサッカー”が、相模原ギオンスタジアムのピッチにはあった。それもそのはず。いわきFCを率いる指揮官は、かつて相馬直樹監督の下でヘッドコーチを務めた村主博正。相馬元監督を「師匠」とあがめる“新鋭指揮官”だ。

球際やセカンドボールへの出足、またトランジションや帰陣のスピード感…。相馬サッカーを形作る上で重要なファクターは「もともといわきFCが大事にしてきた」と嵯峨理久。ただ、嵯峨の言葉を借りれば、村主監督就任以降は、クラブとして重要視してきたコンセプトが、よりブラッシュアップされたという。

いわき対策で採用した[5−4−1]の即効性も空しく、1−2で敗れた試合後、敵将の薩川了洋監督は脱帽の体だった。

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