横浜本牧フットボールマニアックス

本牧生まれ、本牧育ち、通訳兼ホームタウン担当・吉野裕太郎は今日も本牧を歩く【コラム】

(PHOTO,TEXT・佐藤功)

あなたのお仕事は何ですか?

「通訳兼ホームタウン担当、あとは用具係とか」

吉野裕太郎は何でもやる。

「すごいですよ、元町の活気は」

5月5日のこどもの日、彼は元町ショッピングストリートで「YSの大きな旗」を掲げた。

「パレードで一緒に盛り上げようと言っていただけてうれしかったです。FC東京戦も見に来ていただいて面白かったよと喜んでいただけましたし、商店街のお店にポスターも貼っていただいてすごく応援してもらっています」

嬉々として話す「ホームタウン担当」の彼が、「用具係」として練習で使ったボールを片付け始める。彼はかつて、そのボールを蹴っていた。

2020年、吉野はY.S.C.C.の背番号17を背負いJリーガーとなる。

「正直、なかなか試合に出れる選手ではなかった」

その状況を変える。その決意を固めた2022年、3年目の春だった。

「なんとかして活躍したいという思いもあったので、悔しい気持ちもありました」

開幕前の2月にアキレス腱を断裂。シーズン終了後、彼はスパイクを脱いだ。

「家業を継ごうかなと」

2023年、吉野は新たな人生を歩み始めていた。その時だった。彼はある人物と出会う。

「楽しかったですよ、カルロスは」

2023年3月、カルロス アローヨがY.S.C.C.に加入。吉野は通訳として戻ってきた。

吉野はポルトガル語が話せる。中学卒業後、ブラジルでプレーをしていた際に習得していた。しかもリハビリに励んでいた2022年には、Y.S.C.C.のフットサルに在籍していたブラジル国籍の「リッツィの通訳」も経験している。

だが、エクアドル国籍のカルロスが話す言語は、スペイン語である。

「時間の問題でしたよ。すぐに何を言っているのかわかるみたいな」

スペイン語は、ポルトガル語の「キツい訛りみたいな感じ」だった。さっそく彼は、カルロスの生活面もサポートする。さらには、ロリス ティネッリとオニエ オゴチュクウの日常生活もサポートする。

その彼らが、吉野のサポートをし始めた。

「オニエはよく参加をしてくれています」

ホームタウン担当である吉野と共に、彼らの「街の人との交流」が始まった。

「(田場)ディエゴも冨士田(康人)もそうですし、ピーダー(ピーダーセン世穏)や(橋本)陸斗も参加したいと言ってくれてどんどん増えています」

吉野を中心に、その輪は広がっていった。

5,000人に来てほしいという目標があります。そのために選手と共に365日街に出て、いろんな人にYSを知ってもらって好きになってもらって応援してもらえる存在になるのが目標です」

街を歩けば「あそこの家の息子ね」と声をかけられる。

「地元出身+元選手ということで知ってもらえていることが多いので、すべてをポジティブに強みに変えてやっています」

幼い頃からこの本牧でボールを蹴っていた。 その場所にも行った。

「母校の大鳥小学校のサッカー教室をやらせてもらったのが、自分のなかですごく大きかったですね。そこから拡大して間門小学校、本牧南小学校で定期的に月に一回、選手を連れてサッカー教室をやっています。この前の試合は間門小学校、本牧南小学校が大型バスを出して試合観戦に来てくれてすごくうれしかったです」

そう話す彼は、「6月にはY.S.C.C.杯もありますし、他にもいろんなところでイベントや清掃活動もやります」と歩み続ける。

リハビリに励んでいた2022年、当時現役選手だった彼は「サッカー以外で自分に何ができるのか」と考え清掃活動を発案、行動に出た。

「しれっとやってましたね(笑)。選手をやっていた時もすごい試合をしても来てくれるお客さんは少なかったので、選手たちの頑張りをもっといろんな人に見てもらいたいといつも思っていたので、つながっていると思います」

あれから2年の月日が経った。

「ケガをしたおかげで通訳だったり新しい自分を発見をすることができたので、人生においてはよかったのかなと思います」

Y.S.C.C.アカデミークラス出身、Y.S.C.C.セカンド出身の彼が微笑む。

「本牧と言えばY.S.C.C.がある、というぐらいにしたい」

本牧生まれ、本牧育ちは、今日も本牧を歩く。

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