デイリーホーリーホック

「本間幸司CRO(クラブ・リレーション・オーガナイザー)就任記者会見 『より絆を感じられるようなクラブにしていきたい』」【ニュース】※無料記事

【写真 米村優子】

「水戸ホーリーホックのCROに就任しました本間幸司です。よろしくお願いします。

なんかちょっと変な感じですけどね(笑)。CROって、はじめて言いました(笑)。CROの活動に関して説明しますと、引退したばかりですし、26年間このクラブで選手としてやってきた中、GKというポジションだけではなく、チームを支えていくだったり、チームを作っていくことに関して、僕もこのクラブへの思いが強かった分、そこにはすごく力を注いできました。立場が変わりましたけど、継続して、トップチームにはそういうものを残していきたいですし、ホーリーホックスピリッツを選手に伝えていかないといけないと思っています。その他にも、全体的なチームの雰囲気だったりというのは常に見ながら、いい方向に行くように働きかけたいと思っています。GKを40年ぐらいやってきたので、その部分というのは、しっかりクラブに残していかないといけないというところがあるので、GK中心になりますけど、全体を見ながら、クラブがよりいい順位に行けるように頑張っていきたいと思っています。

あとはアカデミーですね。アカデミーに関しても、何人かユースからトップに上がってきて一緒にプレーした選手がいます。今年は内田優晟選手がいますけど、今までトップに上がることはできたけど、その後にこのチームで主力になる選手が出てきていないのが現状。やっぱり、水戸のサポーターや応援してくれる人にとってそれは待望だと思うので、そういう選手をしっかり育成できるようにお手伝いしたいと思っています。アカデミーの選手にもホーリーホックの魂をもっともっと持っていってもらいたい。僕もまだ引退したばかりなので、まだ動ける分、プレーしながら伝えていきたい。見て感じる部分を、厳しい視線で言っていくことも僕の仕事だと思っています。

GKに関しても、有望な選手が何人かいるので、そういう選手をしっかり育てていきたい。僕の息子もGKをやっているので、親としてではなく、コーチとしてしっかり見ていきたいと思います。トップチームとアカデミーは他のチームより分かれている感じはないんですけど、もっとファミリー感を深めるというか、一緒のエンブレムを背負って戦っている仲間だということを意識させて、アカデミーの発展にも貢献したいと思っています。

事業面で言うと、トップチームもアカデミーもグラウンドだけで解決できない部分もたくさんあって、そういう部分も僕も手伝って行ければと思っています。スポンサーさんへの営業だったり、僕が引退してからはじめたボールプロジェクトもホームタウンの小学校を回って、一緒にサッカーをやってスポーツの楽しさやサッカーの楽しさを伝えていきたい。地域にもっとホーリーホックを認識してもらって、スタジアムに足を運んでもらう活動をしていければいいと思っています。ホーリーホックは昨年30周年を迎えて、私も引退して、次のステージに行くのですが、そこには結果が必要になってくる。でも、この世界は頑張ったから結果がついてくるものではなくて、ある程度最低限の環境を作ったり、いい選手を連れてくるためには資金が必要。そういう部分はまだホーリーホックは足りないところがあるので、しっかりそこでも貢献できるような活動をしていきたいと思っています。

アカデミー、フロント、トップチームでもっとファミリー感というか、一つのクラブだということをみんな分かっているとは思いますが、より絆を感じられるようなクラブにしていかないと、地域の人たちに愛される存在になれないと思うので、そういうところをしっかりやっていければと思っています」

【写真 米村優子】

質疑応答
Q.CRO役職が決まった経緯を教えてください。自身から意志を示したのか、それともクラブ側から提案があったのでしょうか?
「そこは話しあって、僕も地元出身で、県北地域に育ててもらった人間なので、恩返ししたい気持ちもありますし、クラブ側も僕を通じてやってもらいたい仕事があると聞いていたので、お互いの思いが合致してやっていこうという話になって決まりました」

Q.たくさんやることがありますね。
「今はトップチームで活動しているのですが、事業部フロントは5日からはじまったので、まだミーティングはしていないんですけど、これから体一つで足りるのかなと思うぐらい、選手時代より相当働く時間は長くなると思います。でも、このクラブのためや僕が産まれた茨城のために何ができるか。僕が動いてよりよくなるなら、いくらでも仕事しようと思っています」

Q.他のJクラブを見ても、CROという役職は珍しいと思います。縦割りではなく、横断的に動くことのメリットは何だと思いますか?
「僕自身、プレーヤーとしてずっとやってきて、こちら側からしか見られない視点があったんですが、視点を変えて、どういう風にクラブが見られているとか、外から見たホーリーホックの現状がどういうものなのかをしっかり感じてみたいです。そうした中でどうすればいいのかが分かってくると思います。いろんな角度からこのクラブを見て、ここから成長してくためにどうすればいいのかを考えていきたいです」

Q.現段階でのクラブの課題は何だと思いますか?
「トップチームは『育成の水戸』と呼ばれて、水戸から羽ばたいて世界に出ていく選手もたくさんいて、それは素晴らしいことだと思います。そういった選手を引き留められない現状がありますし、そういう選手を残していきたい。ホーリーホックで長くプレーしたいという選手が増えてくれたらすごくうれしいです。そうしたらクラブは強くなると思います。もっと選手に選ばれたり、残ってくれたりするクラブにしていきたいと思っています」

Q.現段階で決まっている具体的な仕事や活動は?
「事業面ではボールプロジェクトはしっかり地域の小学校に行って、ボールを渡しに行きながら、サッカーとスポーツの面白さを伝えていきたい。あとはホーリーホックをもっと認識してもらいたい。まだまだ知らない人もいると思うので、少しでも足を運んでもらえるような活動をしていくことは決まっています。トップチームに関して言いますと、僕は監督やコーチングスタッフと同じ部屋を使って、引退した時に選手たちからもらったパソコンがありますので、それを『どうやってやるの?』と聞きつつポチポチやりながら、働いています。立派なソフトがいっぱい入っていて、なかなか覚えるのが大変で、サッカーをやっていた方が楽しいなと思うこともありますが(苦笑)、練習後に選手と一緒に映像を見たりして、有効活用したいと思っています。河野GKコーチがいる中でサポートというわけではないですが、長年一緒にやってきているので、お互いに分かり合えているし、GKの成長速度を上げていきたい。今年は松原選手しかGKは残らなくて、3人は新しい選手。でも、彼らは伸びしろがある選手ですし、新人のブワ(早川選手)はとても素晴らしいポテンシャルを持った選手なので、しっかり育て上げたいと思っています。あと、気になるところがあれば、僕は監督やGMとも分け隔てなく喋れるので、どんどん言っていこうと思っています。全体の空気を見て、いい方向に向かう手伝いができればいいと思っています。僕自身の視点を大切にしながら、みんなとコミュニケーションをとって行ければいいなと思っています」

Q.本間CROが考えるホーリーホックスピリッツとは?
「このクラブはたくさんの奇跡があって、たくさんの人がこのクラブのために血と汗を流してくれて、今があるんです。そういうことは今まで選手に伝えてきましたし、これからは(村田)航一や大崎や(安藤)瑞季といった長くチームにいる選手に伝えていってもらいたいですし、足りなければ僕も伝えていきたい。今の若い子たちは恵まれた環境でサッカーできることが当たり前だと思っている。でも、それが当たり前じゃないというか、このエンブレムを背負う重み、このクラブがここまで来るためにいろんな困難を乗り越えてきたんだということを伝えたい。簡単に諦めないことや粘り強く、泥臭くとか、強い者に挑む反骨心のようなものをもっともっと植え付けていきたい。諦めなければ叶うことはたくさんあると僕は身をもって感じてきたので、そういうことを伝えていければと思っています」

Q.CRO就任をきっかけにはじめたいことや思い描いている展望はありますか?
「水戸ホーリーホックは30年活動していますけど、相当長い時間だと思うんですよ。でも、水戸の町にどれだけ浸透しているのかを考えた時、やっぱりまだまだ応援してくれる人は少ないと感じています。水戸市は20万人以上の人がいるものすごく大きなポテンシャルを秘めた町。僕も大好きな町です。でも、町にまだ溶け込めていないところがある。一番の理想は町の文化みたいな感じになりたい。試合が終わった次の日には商店街の人たちがホーリーホックの話題で盛り上がるような地域に根差した存在になりたい。それが最終目標ですね」

Q.練習に参加していますが、チームがどうなることが目標ですか?
「あまり夢が叶ったことはないんですけど、一番の夢はJ1に行くこと。30年の中でクラブが主体的にJ1にチャレンジすると宣言したことは一度もないんですよね。クラブやフロント側から『J1にチャレンジする』と言えるように、そのための環境を作ることが僕の仕事だと思っています。昨年のホーム最終戦でサポーターのみなさんと約束したことなので、そこを目指して、現場・アカデミー・フロントの3つで忙しくなると思いますが、しっかりやっていきたいと思います」

Q.CROの名前が決まった経緯を教えてください。
「CRCは冨田大介や細川淳矢がやっていたので、2人から『幸司さんが3代目はないです。やめてください』と言われたんです(笑)。それは冗談ですけど、全体をオーガナイズできるような立場でいたいというか、しっかり意見を言えるような立場でいたいと思ったので、CROという名前にしました。最終的にクラブが決めてくれたんですけど、いい名前になったと思います」

Q.オーガナイズする立場として伝えていくことが役割になるのでしょうか?
「僕が26年間水戸で育ててもらった上で言えることはたくさんあると思いますし、僕もこれからいろんなことに挑戦して、たくさん失敗するでしょうけど、そういうところからいろいろ学んで、僕自身も知識を増やして、このクラブにいろんなものを還元したい気持ちもあります。この世界で長く活動してきたので、日本中にたくさんの友人や知り合いがいます。そういう人たちからたくさん学びたいと思っています。指導者のライセンスもB級はあるので、今度はA級にチャレンジしょうかなとも思っています。ただ、トータル的に頑張るのはすごく難しいですよね。やることがたくさんありそうで、なさそうな感じで、すべて自分次第というところがあるので、大きな責任を感じています」

Q.幅広い活動をしていくことに対して前向きでいるということですね。
「自分がやらなきゃいけないことと求められることをしっかり整理してやっていきたいです。人に求められてやることに関して、僕の力をすごく発揮できると思うので、心配はしていないんですが、自分のやらなきゃいけないことは何かなと考えることがすごく増えました。ただ、このクラブのためとか、地域のためとか、茨城のために何ができるかという思いがぶれることはありません。そこを細分化して、結果を出していく作業は僕一人ではできないと思うので、パソコンもいじれないぐらいなので(苦笑)、スタッフのみんなに手伝ってもらいながら、しっかりやっていければいいかなと思っています。サッカー面で言うと、昨年はセットプレーでの失点が多かったので、その辺のところを監督からテコ入れをしてくれないかと言われているので、引退してからいろんなセットプレーをパソコンで見ていました。河野GKコーチと話をしてブラッシュアップして、もっといい形を模索していきたいですね。セットプレーで得点を取れて、失点しなければ、相当順位が変わる。昨季の横浜FCはまさにそうでした。守備の部分は意識してやっていこうと思っています」

Q.あらためて、夢を教えてもらえますか?
「いっぱい語れますよ(笑)。15年前、このクラブがJ1に行くなんて恥ずかしくて言えませんでした。でも、今は新人も『水戸がJ1昇格するために頑張ります』と言ってくれるし、地元出身の飯田が帰ってきてくれて、『水戸をJ1に上げるのが目標です』と言ってくれている。サッカー界の中で水戸ホーリーホックの見方は変わってきている。J1昇格を漠然と言うのは簡単なんですけど、先ほど言いましたけど、クラブとして、地域のみなさんを巻き込んで、『J1にチャレンジする』という空気を作っていかないと難しいと思う。ホームタウンや茨城を巻き込んで、J1に昇格して、鹿島と茨城ダービーをやれたらいいですよね。茨城の町が青と赤の2つに分かれる風景を見ることができたら、そんな幸せなことはないと思います。その時、地元にフットボール文化が根付いていくと思う。本当はカテゴリー関係なく、ホーリーホックが地域に根差して、1部だろうが、3部だろうが、たくさんのお客さんがスタジアムに来るということが理想的な姿だと思います」

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