デイリーホーリーホック

鈴木喜丈選手インタビュー(前編)「水戸での2年半でいろんな人に支えられてサッカーができていることを実感し、サッカー選手としての考え方が変わった」【インタビュー】※無料記事

【写真 水戸ホーリーホック】

今季限りで水戸を去る決断をした選手たち。
ただ、誰もが水戸ホーリーホックのエンブレムに誇りを持ち、サポーターと喜びを分かち合うためにすべてを出し切った。
「移籍」という言葉の背後にある葛藤。そして、クラブとサポーターへの感謝の思い。
水戸ホーリーホックの一員として、最後にすべてを語ってもらった。

Q.岡山の移籍が決まりました。まず、現状の心境を聞かせてください。
「いい意味でも悪い意味でも刺激的というか、悪い意味で言ったら、慣れてない環境に行く不安や新しい環境に対して緊張とかは多少あります。いい意味の刺激で言うと、新しい挑戦じゃないですけど、チャレンジするということは、ずっと慣れた環境にいるよりも、いろんな意味でいい面があるなと感じています。新居に体を動かせるスペースを作って、自宅でトレーニングしようと思っていますし、自炊も始めようと思っています。栄養面のところも水戸にいる時から変えていこうかなと。そういったことを変えるいいタイミングだと思っています。心機一転ではないですけど、ワクワク感はありますね。」

Q.あらためて水戸での2年半はどんな時間でしたか?
「本当に濃度が濃かった。プロに入ってから、けがが続いてたので。はじめてサッカー選手として認められたいとか、チームの力になりたいという思いを持って2年半プレーすることができました。水戸への思い入れというか、気持ちはものすごくありますね」

Q.2年半前に水戸に来た時はまだコンディションが上がっておらず、納得するプレーができていなかったと思うのですが、いかがでしたか?
「水戸に来た時はとにかくギラついてました。自分が試合に出られればいいと思ってたし、チームの勝敗よりも自分が試合に出て、自分がどれだけいいパフォーマンスをできるかということをずっと考えていました。その半年間はとにかく自分の中ではギラついていて、絶対に試合出てやるという思いでプレーしていましたね」

Q.実際プレーしてみて、どうでした?
「やっぱり思っているよりうまくいかなかった。リハビリ期間は外から見ているので、いいイメージというか、自分が入ったらもっとできるのにということを思っていて、実際『自分はできる』というイメージを持って、いざピッチに入ったら、やっぱり全然違うし、体も動かないし、プレー感も思っていたものと違いました。そこのギャップというか、自分の理想としてる姿というか、外から見てイメージしていたプレーと、中に入った時の自分が何もできない状況のギャップに結構苦しみました」

Q.ギラついていた分だけ、ギャップへの苦しみも大きかった?
「期限付きで途中から来て、短期間で結果を出さなきゃいけない立場だったのに、使ってもらえない試合も多かったので、悔しさはありましたね」

Q.そこから徐々にコンディションを上げていきました。何か特別な取り組みをしていたのですか?
「加入1年目はコロナ禍で連戦続きだったんですよね。なので、練習でもコンディション調整のメニューがほとんどで、コンディションを上げることができませんでした。2年目になって、コロナもちょっと落ち着いてきて、筋トレできる時間もできましたし、そこで中村祐基トレーナーと土井達也トレーナーによく見てもらって、『今の体のまんまではできないよね』ということで鍛え直しました。筋トレは水戸に来てから、しっかりやるようになりました。ザ・筋トレみたいな感じで重量を持って行うメニューを上半身も下半身も2年目以降しっかりやるようになりました」

Q.筋力をつけることによって、変化を感じましたか?
「やっぱり、体の大きさは大事なんです。プレーを振り返ってもそうですけど、21シーズンのプレーと22シーズンのプレーを比較すると、プレーももちろんそうですけど、身体が太くなった部分があって、当たり負けする場面が少なくなったように感じました」

Q.試合に出ないと、足りないところが分からないですよね。1年目に試合に出て感じたことが大きかったんでしょうね。
「それは間違いないです。やっぱりサッカー選手は試合に出てナンボなんです。試合に出ないと伸びない部分が多いんじゃないかなと感じましたね」

【写真 水戸ホーリーホック】

Q.21シーズンは序盤こそそんなに出場機会に恵まれなかったと思うんですけれども、タビナス・ジェファーソン選手がフィリピン代表に選ばれて欠場している間にスタメン奪取しました。そして、2年半ぶりにフル出場して勝利に貢献したアウェイ金沢戦はターニングポイントになったと思うのですが、いかがでしょうか?
「印象深かったのは金沢戦ですけど、ターニングポイントはジェフが代表でいなくなった期間ですね。そこが自分にとってはめちゃくちゃ大きかったですね。それまでずっとジェフがスタメンで出てましたけど、どうにかしてスタメンを奪ってやろうと思っていました。ジェフがいない期間にどれだけプレーできるかが大事だということは自分でも分かっていたし、それこそ周りの選手からも『この期間がチャンスだよ』とずっと言われていたので、そこはもう必死こいてじゃないですけど、意識してプレーしました。自分のパフォーマンスもそうだし、チームがなるべく勝てるように考えながらプレーしていた記憶がありますね」

Q.急にチャンスが来ていいパフォーマンスができるわけではないですよね。それまでいい準備ができていたということですね。
「身体の下積みはありましたけど、プレー面で言うと、やっぱりボランチよりセンターバックは難易度的には下がることの影響はあったと思います。ターンするプレーがないですし、360度から相手が来るわけではないですから。ボールを持った時の感覚は問題なかったので、コンディション的にしっかり走って、相手と戦える身体を試合に出ていない期間にトレーナーと一緒に作れていたことがよかったと思っています」

Q.そこからずっと試合に出続けましたが、試合に出続けて感じたことは?
「周りの反応を見ても、自分の感覚的にも、試合に出て初めて評価される世界なんだなということを再確認しました。試合に出てない期間に『これだけ俺は頑張ってんだぞ』と言っても、身近な人は分かってくれるけど、サポーターやサッカー関係者は見てくれないんですよ。試合に使ってもらえるようになって良かったなと感じたし、試合に出て得られるものは、練習や練習試合で得られるものとはまた違うんですよね。勝負に対してこだわるとか、90分でどうやって勝つかということを、いつも真剣に考えてるつもりでしたけど、より一層考えるようになりました。2年間試合に出続けられた経験は大きかったと思います」

Q.21シーズンが終わった後に水戸に完全移籍するわけじゃないですか。そこも大きな決断だったのでは?
「正直なことを言うと、期限付きか、完全かというのは自分の中ではあまり関係なかった。期限付きの時もずっとけがが続いていたのもあって、どっちにしろ、水戸で結果を出せなかったらサッカー人生が終わっちゃうなという意識でした。なので、気持ち的には完全移籍でも期限付き移籍でもそんなに変わりませんでした。よく期限付きから完全移籍になると決意が固まったみたいなことを言われるじゃないですか。というよりも、期限付きでも、完全でも、水戸のために戦いたいという思いが僕の中では強かった。契約が変わったからといって、自分の決意が変わったということはありませんでした」

Q.最初はギラついていた鈴木選手が『水戸のために』と思うようになったきっかけはあったのでしょうか?
「一番大きかったのは西村(卓朗)GMの存在。西村さんに一番感謝しています。水戸に移籍するまでけがをしていて、行き先がなかった自分に対して手を差し伸べてくれました。西村さんはユースの時やFC東京U-23の時のプレーを見てくれたらしくて、そこで自分のことを評価してくれて、けがでずっとプレーしてなかったっていう状況も加味した上で獲得してくれたんです。本当に自分にとってありがたかった。あと、水戸は本当にいろんな人との距離が近いんですよね。サポーターやパートナー企業の方と接する機会が多く、こんなにも僕たちはいろんな人に支えられてサッカーができているんだということを実感できたんです。水戸にはMake Value Projectがあって、そういうことをみっちり教わったことも自分にとっては大きかった。自分が活躍するというよりも、自分がチームを勝たせるとか、水戸を勝たせたいという思いが芽生えるようになりました。そこは大きかったです。自分はいろんな人に支えられてサッカーができているんだということを知ることができて、サッカー選手としての考え方が変わりました」

Q.プロとして『何のためにサッカーするのか』いうことが明確になったんですね。
「まさにそれです! 何のためにサッカーをしているんだろうと本当に考える時期があったんです。自分では答えを出せなかったので、それを考える機会を与えられて、その答えにたどり着いて本当に良かったと思っています」

※後編(有料記事)に続く

(取材・構成 佐藤拓也)

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