デイリーホーリーホック

「[HOLY SPONSORS]第38回・株式会社アルク『胸を張って誇れる街のシンボル』」【HHレポート】※無料記事

【写真 米村優子】

水戸ホーリーホックを支えてくれるスポンサーさんにお話を聞く企画「HOLY SPONSORS」。第38回目にレポートさせていただいたのは、ブロンズパートナーの「株式会社アルク」です。どのような思いを抱いて水戸のスポンサーとなり、その活動を続けているのか、株式会社アルクの企画広報を担当する高羽紀幸さんにインタビューした模様をお伝えします。

ブロンズパートナー
株式会社アルク 企画 高羽紀幸さん

番記者として懸命な選手の背中を後押し

水戸市東野町を拠点とする株式会社アルクは、2010年に設立された地盤のトータルコンサルタント。建物を建てる時、その土地がその重さに耐えられるかどうか地盤を調査し、もし弱かった場合は補強の設計をして、改良工事、施工管理をする。そんな地盤関連業務が柱です。
その他、地盤の下の熱を使った地中熱エネルギー事業、太陽光発電の基礎部分の商品開発、販売、施工をしたりする、地面よりも下の部分に携わる会社です。

当社はホーリーホックのスポンサーとなって3シーズン目となりますが、私個人とホーリーホックの繋がりはクラブ黎明期、というか幼少のころまで遡ります。

私は水戸市出身で市内のスポーツ少年団でサッカーを始め、社会人になってからは水戸市吉田サッカースポーツ少年団の指導者をしています。
私が指導者として駆け出しの頃、沼田邦郎社長は笠原サッカースポーツ少年団の指導者として水戸市のサッカー少年団を牽引する存在でした。私が小学生のころからお世話になっていた恩師からも「地域のサッカーの事で相談事があったら、沼田を頼ればいい。一生懸命にやってくれる。」と教えられたほど、沼田社長は、水戸市のサッカーに対して熱い思いを持っていたことを覚えています。

30歳のころ、私はある地域情報誌に在籍しており、ホーリーホックのコーナーを担当することになりました。
当時のキャプテンは栗田泰次郎選手で、担当2年目の新人が須田興輔選手、その翌年のルーキーが眞行寺和彦選手と小椋祥平選手という時代。
黎明期のホーリーホックはクラブの予算が3億も行かない規模で、水戸市との関係もあまり上手くいかず満足な支援も受けられないような状況でした。
取材先である練習会場も転々としている状態で、時には土混ざりのグランドだったことも。同じ茨城にあるJ1の鹿島アントラーズの環境とは雲泥の差で「プロというにはほど遠い…」と愕然としました。
しかし選手はすごく一生懸命で、そんな背中を後押ししたいと、紙面を通じて、ホーリーホックの応援に力を入れました。

始まりはエコステーションでの環境活動

その後、地域情報誌の会社から住宅会社に転職し、ホーリーホックとの関わりがスポンと抜け落ちたまま、8年ほどの月日が流れました。
そして4年前、縁あって当社に入社し、広報や企画の仕事を担当することとなりました。PR戦略を練っている最中、ホーリーホックがベトナム人選手を獲るかどうかという話が舞い込んできたのです。
当時、当社にはベトナム人スタッフが在籍していて、「このベトナムつながりはPRの材料に出来るかもしれない」という思いと、前述の沼田社長がホーリーホックの社長になっていたということもあり、「しめた!これは使わない手はない!」と直感しました。

ただ、私には黎明期のクラブの印象が強く、本当にPRの材料として適しているかという点は、正直、疑問が残っていました。ホーリーホックや水戸のサッカーに対する個人的な思いだけで仕事はできませんから…。ですが、ちょっと調べただけで、観客動員、事業規模、クラブの存在感、地域への貢献、イメージなどなど、以前とは全く違うプロのチームになっていて、今では様々な企業や団体、そして行政がクラブに関わっている事にも驚きました。直感は「これはいけるぞ!」という確信に変わった瞬間でした。

しかしながら、当社はまだまだ歴史も浅く、周辺への影響力や認知度も低く、ましてや広告の予算なんて入社したばかりの一担当者である私の一存でどうにかなるものではありません。「経費をかけずに自分が動ける範囲で何か関われること」と模索していた時に、茨城県環境管理協会が旗振り役であるエコステーションの存在を知りました。大勢の観客が集まるホームゲームの環境保全活動に参加すれば、ホーリーホックとの絡みを持ちながら、地域サッカーへの貢献、アルクの名前もPRできる。会社として環境への取り組み、企業CSR(社会貢献)にもプラスになる。これはチャンスだと思ったのです。そして、早速エコステーションに参加し、アルクとホーリーホックの関係が始まっていきました。

費用対効果が抜群。対外的にも大きなメリット

エコステーションでの活動の様子を当社のSNSやブログ等を通じて発信して、PRに活用する。泥臭い印象が先行しがちな当社のイメージアップと、再生可能エネルギーへの取組みを訴求する麺でそても効果的でした。
そんなことをワンシーズンやった結果、一地元企業として対外的なメリットの大きさも実感しました。
我々は水戸を拠点に展開している企業なので、スポンサーが参加できるパーティーで、様々な企業さんとご挨拶させていただけるのも大きなメリット。それに、水戸は他のエリアと比べると横の繋がりが顕著なので、ホーリーホックを応援している企業さん同士は仲間意識が強い。このことは情報誌の仕事をしてる時から感じていることでした。
また、水戸ホーリーホックのホームページは、一日のアクセス数がとんでもない数になるお化けサイト。ホーリーホックのホームページにバナーを貼って貰って、リンクを付けておくだけでもSEO対策になります。

当社は一時期、ベトナムで事業をしたことがあるのですが、その際はグエン・コンフォン選手の「高橋陽一×水戸ホーリーホック×AFC『ONE GOAL』トリプルコラボレーションチャリティーTシャツ」を着て、現地の就職セミナーに参加したこともあります。そこでは、当社の取り組みの一つとして、水戸ホーリーホックでの活動を紹介し、PRツールの一つとしても活用させていただきました。
ホーリーホックは自社PRの要素として事欠かない存在。フル活用させていただいていますね。
ケーズデンキさんなどトップスポンサーさんとは支払うゼロの桁が違いますが、費用対効果を考えたら絶対お得。間違いないです。そういった理由もあり、今年で3シーズン目のスポンサーを続けさせていただいております。

沼田社長の最大の功績は「萩原武久顧問と創ったクラブの礎」

地域情報誌時代はランドセルの広告を担当していたので、沼田社長とは「サッカー少年団の指導者」「経営者と広告担当者」という関係もあり、長くお付き合いをさせて頂いているんです。そして、私が指導者になる前から関りがあるホーリーホックの関係者、その方が萩原武久顧問(私の中では永遠に『先生』)です。

今のホーリーホックを見ていて、改めて沼田社長の凄さを感じています。地域とのつながり、行政とのつながり、地元企業とのつながり、サポーターとのつながり、数えていったらきりがありません。しかしその中でも、個人的にひときわ光っているのが「萩原先生を強化部長として招聘したこと」だと感じています。萩原先生がどのような経緯でクラブに携わるようになったかは存じ上げないのですが、ただただホーリーホックに萩原先生がいるってことが、私の中では誇らしいことです。

萩原先生は筑波大学で教鞭を振るわれた知る人ぞ知るサッカー界の重鎮。そして、サッカーという単一競技だけでなく、様々な競技のスポーツ少年団の指導者を育成するプログラムの講師もされていた、「指導者を指導する」先生です。実をいうと私は、中学、高校の時の指導者プログラムで萩原先生のお話を拝聴する機会をいただき、また他競技の先輩からもいろいろな話を聞いて、先生のスポーツ振興と指導に対する熱く厳しい姿勢に触れたひとりでもあります。礼節に厳しく、常にキリッとしていらっしゃる。ホーリーホックの下部組織から指導者や経営陣に萩原イズムが浸透して、現在のホーリーホックの基盤ができていったのではないかと思います。試合会場やパーティの席ではいつもニコニコと柔和な笑顔ですが、私はいまだに背筋が伸びる思いで挨拶させていただいています(笑)
今はその基盤の上に、そしてその基盤に引き寄せられるように、小島耕取締役など優秀な方々が入ってきて、沼田社長も、少し楽にというか、ホッとしたというか、「夢を語る社長本来の仕事」にシフトできるようになったのではないかと思っています。

地元の子どもたちが「このチームでプレーしたい」と思う試合を

やはりホーリーホックが勝っている時は、地元が盛り上がります。
昇格争いを繰り広げた昨年は「チケットある?」とよく声を掛けられたりしました。
最終戦の1点差でプレーオフ進出ができませんでしたが、プロの世界は本当にドラマチック。一般庶民は、そういう部分に惹かれる訳じゃないですか。本当に悔しいけど、裏腹に「水戸にホーリーホックがあってよかったなぁ」と感じた出来事でした。
新しいシーズン、選手の大半が入れ替わるのは水戸の標準仕様。昔は残った選手は10人以下ということもよくありましたから、それに比べたら積み上げるためのベースはできていて昨シーズンより良くなっていくはず。
今年の秋葉忠宏新監督は柱谷哲二監督時代のヘッドコーチですし、その頃のカラーも多少出るのかなと感じています。
秋葉監督は、今回の新型コロナだけでなく、東日本大震災の時も水戸で大変な思いをされていますが、必ず乗り越えて、チームを魅力的に、そして強くしてくれると信じています。

個人的な希望としては、どうしても育成目線になってしまうのですが、下部組織の選手が「このチームでプレーしたい」と思うような試合を見せて欲しいです。
私が指導していた子どもの中で、ホーリーホックのジュニアユース、ユースまで上がった選手がいました。
プロにはなれなかったけれども、ホーリーホックを通じて人間的にも成長し、今は地元のサッカー少年少女たちの面倒を見てくれています。こういうサイクルは、指導者冥利に尽きるというか、本当に嬉しいですね。
地元の少年団はサッカーを通して子どもの健全な心と体を育み、ホーリーホックはプロで通用する人間的にも魅力的な競技者を育てる。互いにやるべき役割をして、いい循環で水戸のサッカー文化が育っていけるといいと思います。
沼田社長が語った「夢」のように、専スタで選手に近い所で旗を振って、誇らしく鼓舞する。そして対戦相手と相手サポーターに負けない熱量で相対する。そんなスタジアムに通う事が、個人的な老後の楽しみの一つです。

ホーリーホックは、地元が胸を張って誇れる街のシンボルになりつつあります。
今年もバンバン勝って貰って、当社の宣伝効果がバンバン上がる事に期待しています。

【写真 米村優子】

株式会社アルク
水戸市東野町・東京都港区を拠点とする地盤のトータルコンサルタント。ソーラーパネル架台用基礎、井戸事業、地中熱空調システムなども展開中。
http://www.a-rc.co.jp/

(米村優子)

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