【Gマガ】ザスパ初期メンバー堺陽二インタビュー(現女子サッカー・ディオッサ出雲監督)後編
【Gマガ】ザスパ初期メンバー堺陽二インタビュー(現女子サッカー・ディオッサ出雲監督)後編
「僕らはザスパのサポーターから勇気をもらっていたので、昔のような勇気を奥野さんに届けてほしいと思う」
「奥野さんがザスパに戻ったことでみんなが原点を思い出したと思う。俺らはザスパのOBとして責任ある行動、仕事をしていきたい」
(ザスパ初期メンバー堺陽二=写真中央)
リエゾン草津時代からザスパに在籍した雑草男
ザスパの前身リエゾン草津時代からチームに在籍、県リーグから関東リーグ、関東からJFL、JFLからJ2への昇格に貢献、J2では2シーズンにわたりプレーした。雑草の魂を宿した気迫のプレーは、ザスパ古参サポーターの脳裏に焼き付いている。現役引退後は、ザスパチャレンジャーズ、ザスパトップでコーチを経験。指導者としてのキャリアをスタートさせると、2012年には長崎ヘッドコーチとしてJ2昇格を経験、その後も地域リーグクラブでキャリアを重ね、2019年からは、なでしこリーグ昇格を目指す女子サッカー・ディオッサ出雲(島根)の監督となっている。雑草監督は2018年にS級ライセンスも取得。ザスパでプレーしたときと同じ熱い気持ちで、指導を続ける。2月23日のザスパ開幕戦セレモニーに参加した堺に、自身の現状とザスパへの思いを聞いた。(後編)
――ザスパに奥野さん(奥野僚右)が戻ってきた。
「いやー、感動しました。俺の中では、ザスパ第3章の幕開けだと思っています」
――ザスパ第3章とは?
「俺らが働きながらJリーグを目指して、ザスパは2004年末にJ2昇格を決めました。でも俺の中ではそこが第1章の終わりじゃないんです。俺らはそのままJ2でもプレーさせてもらっていましたし、夢は続いていたんです」
――最初のJ2昇格が区切りではないと。
「そうなんです。俺は2007年からチャレンジャーズのコーチになりましたが、トップチームはなかなか連勝ができなくて、初めて連勝したのがJ2昇格から4シーズン目の2008年5月だったんです。俺は、トップのサポートで敷島にいましたが、ロスタイムに松下裕樹のミドルシュートが決まって、J2昇格後に初めて連勝したんです。みんな優勝したかのように泣きました。ザスパにはこういう喜びがあるんだと感動しました。あの試合が、自分の中で第1章の終わりです」
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