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【Gマガ】前橋育英・山田耕介監督 母校島原商(長崎県)などで講演

【Gマガ】前橋育英・山田耕介監督 母校・島原商(長崎県)などで講演

名将のルーツは「島原」にあり

 

(母校島原商で講演会を行った山田監督)

 

(島原商・体育館)

 

(島原商・校庭。山田監督は、毎日、島原城を見上げながら練習していた)

 

「歯を食いしばって困難に立ち向かえ!」

 

今年度の全国高校サッカー選手権で悲願の全国制覇を果たした前橋育英の山田耕介監督が2月2223日、故郷である長崎県の島原半島で講演会を行った。22日は、島原市の島原復興アリーナでサッカー関係者や地元子どもたちを前に講演。翌23日は、母校・島原商を訪れ、後輩たちにメッセージを送った。

 

山田監督は昭和34年長崎県南高来郡国見町(現・雲仙市)出身。高校時代は、隣町の島原まで電車で通い、サッカーに青春を捧げた。高校3年時には、キャプテンとして全国高校総体(インターハイ)に出場し初優勝。優勝旗が関門海峡を越え九州に渡ったのは、そのときが初めてだった。

 

今回の講演会は、島原市サッカー関係者や当時のチームメイトらが山田監督に打診し実現した。山田監督は全国優勝後、休む暇がないほどの過密日程だったが、スケジュールを調整し故郷への“凱旋”を果たした。

 

22日は会場いっぱいの約350人、23日の母校では約240人の生徒を前に、「開け未来の扉を!」と題して、講演した。山田監督は「高校時代、勉強を頑張ったとは言えませんが(笑)、サッカーには全力で取り組んだと自信を持って言えます。島原城を見上げながら練習した日々を思い出します」と当時を懐かしむとともに全国制覇について言及。「今回は優勝することができましたが、それまでは負けっぱなしの人生。それでも生徒とともに歯を食いしばって努力したことが結果につながりました。若い人たちには困難に遭遇してもそこから逃げることなくチャレンジしてほしい。それが成長につながっていくと考えています」とエールを送った。

 

島原商サッカー部の浦田大輝主将は「島原商の大先輩である山田監督の話を聞いて、僕たちも頑張らなければいけないと思いました」と話した。22日の講演会を共催した島原がまだすリーグ・スポーツキャンプ等誘致実行委員会の満井敏隆会長は「山田監督は、Jリーグのザスパクサツ群馬の強化育成アドバイザーも務めており、ザスパクサツ群馬は今年も島原でキャンプを実施してくれました。群馬県とのつながりに感謝したいと思います」と語った。

 

山田監督は2泊3日の滞在だったが、同級生やチームメイトとの再会を心から楽しんでいた様子。故郷を離れて40年が過ぎているが、高校時代を過ごした仲間との心の“距離”はいまもまったく変わっていないようだった。島原には、指揮官のルーツがあった。

 

 

 

22日、長崎に到着した山田監督は、島原市関係者の送迎で島原入り。関係者たちは昼食の場所を思案していたというが、山田監督が熱望したのは、長崎発祥の長崎ちゃんぽんチェーン店「リンガーハット」。

 

「群馬にもリンガーハットはあるが、味がぜんぜん違う。地元の味が食べたかったんだよ(笑)」。全国制覇を果たした指揮官は、本場の「長崎ちゃんぽん」の味に強いこだわりをみせた。22日の講演会後には、同級生らとの食事会に参加、23日は優勝祝賀会に主役として出席した。

 

同級生らの食事会の席には、チームメイトが高校時代当時の雑誌などの資料を持参。そこには、坊主姿で必死にボールを追う山田青年の姿があった。そして、その姿は、ザスパの闘将・松下裕樹(前橋育英出身)にそっくりなのだった(=写真)。

 

(左が高校時代の山田監督=風貌、キックフォームが松下裕樹にそっくりだ)

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